誰かと私の備忘録

日々の仕事と暮らしからの気づきや学びを「備忘録」として、同じ悩みや境遇の方向けにシェア◆おすすめ書籍も紹介◆大手企業にてマーケティング20年、現在はDX推進課長◆家ではポンコツ、妻と息子たちに教わることばかり◆昭和平成カルチャー好き◆日本マーケティング協会マイスター|生涯学習開発財団認定プロフェッショナコーチ|DXパスポート

KANさんが聴けなくなった男の、自分なりのKANタービレ

スポンサーリンク

 

<目次>

KANさん一周忌を迎える11月

リリースやニュースが続く。10月30日には山崎まさよしさん、秦基博さん、Kさんらとのコラボ作品などを収録したベストアルバム『IDEAS Ⅲ ~the very best of KAN~』が発売。同日には、最後のライブツアーとなった『BAND LIVE TOUR 2022【25歳】』を収録したBlu-rayも発売された。
命日にあたる11月12日には、すべてのシングルのA面を集めた3枚組ベストアルバムが発売。そして、スターダスト☆レビュー、スキマスイッチ、馬場俊英さん、秦基博さんがホストとなって『KANタービレ~今夜は帰さナイトフィーバー~』というライブが横浜ぴあマリーナにて開催。ASKAさんや桜井和寿さん、谷村有美さんなど豪華ゲストも終結。KANさんの一周忌に向けて、世間の空気があたたまってきている、そんな動きを感じる。

KANさんが聴けなくなった

なのに私といえば。だめだ。この1年、ずっと冷えている。動かない。お通じがないときのお腹のようだ。昨年、KANさんの訃報にショックを受けて、いっぱいKANさんの楽曲を聴いた。でも・・・、年が明けてから、全然聴けなくなった。KANさんの楽曲を聴くことに畏怖を感じているというと大げさかもしれないが、それに近しい感じを覚えて、腰が上がらないのだ。その理由は、自分ではなんとなくわかっている。おぼろげに、2つあると感じる。

生きている間にもっと・・・という後悔

私は、中1の時に『愛は勝つ』でKANさんを知った。本格的にはまったのは、高校に入って友達に『弱い男の固い意志』を借りてから。当時リリースされていたアルバムを全部カセットテープに録音して、毎日すりきれるくらい聴いた。FM802の『ミュージックガンボ』が毎週(正確にはKANさん担当は隔週)の楽しみだった。初めて行ったアーティストのライブはKANさんの97年『LA TOUR DOMESTICA DEL DECIMO ANNIVERSARIO DAL TREDICI SETTEMBRE PASSANDO IL MIO COMPLEANNO AL OTTO NOVEMBRE』(長い)。それから何度もKANさんのライブに行った。オリジナルの選曲でカセットやCDを何枚も作り、友達や恋人に渡した。私の青春には常にKANさんの音楽がBGMで流れていた。結婚式で自分の生い立ちのBGMは『言えずのI LOVE YOU』で、退場は『よければ一緒に』を選んだ。それからもしばらくは、KANさんをよく聞いていた。『カンチガイもハナハダしい私の人生』を、新婚の頃によくカーステレオで流していた。
それが、パタッとそれ以降、リアルタイムのKANさんに触れることが少なくなってしまった。昔のCDなんかはよく聴くのだけれど、新しいシングルやニューアルバムは買うことなく、ライブにも行かなくなった。この約10年間。
なぜだったんだろう?振り返ると、2人の息子ができて、私は実生活に夢中だった。仕事もがむしゃらだった。日が変わって帰ることもざらだった。KANさんだけじゃなく、そもそも最新の音楽にまったく、うとくなっていた。好んで聴いていたのは”おかあさんといっしょ”や”ワンワン”、”仮面ライダー”、”スーパー戦隊”みたいな子供と楽しむ曲が多かった。妻とライブに行く余裕はなく、他の誰かとライブに行くという発想もなかった。お小遣い制になり、お金は飲み会に消えていき、KANさんだけでなく、音楽CDやビデオを買うことなかった。充実していた、のかもしれない。
昔の曲は聴いていたし、ライブビデオもたまに観ていた。息子2人は『Oxanne ~愛しのオクサーヌ~』と『丸いお尻が許せない』が大好きで、いつか家族4人でライブに行こうと思っていた。でも、とにかく、私は、あれだけ若き日をともにしたKANさんと、約10年もの間、疎遠だったのだ。そしてそのまま、KANさんは旅立ってしまった。それが、私の心を、今も冷えたまま、動かないままにさせる。「KANさんが元気に生きている間に新曲をもっと聴けばよかった。ニューアルバムを買えばよかった。なにより、ライブに行けばよかった」という心の声が、ずっと自分自身にへばりついている。
10年の間にリリースされた『6×9=54』『23歳』の2枚のアルバムを、私は持っていない。KANさんが亡くなって、昨年FM COCOLOが丸一日特集を組んだ。その時にこれらのアルバムに収録されているいくつかの楽曲を聴いて、「あぁ、やっぱり最近の曲もほんと良かったんだなぁ」としみじみ感じた。じゃあ、今CD買えばいいじゃないかと自分でも思う。でも、KANちゃんが生きていた時に買わなくて、亡くなった今買うという行為が、どうしても自分の中で気持ち悪く、腰が上がらない。絶対にいつか買うと思う、でも、今はまだ・・・。

KANさんは自分の未来のBGMだった

そしてもうひとつ。たまにラジオからKANさんの楽曲が流れる。その時に、なんともいえず感傷的になってしまうのだ。『REGRETS』を聴く。『Day By Day』を聴く。『Songwriter』を聴く。『50年後も』を聴く。その他も。すると、これらを飽きるほどに聴いていた毎日の自分の情緒を思い出す。根拠のない未来への自信と楽観。片想いの時もフラれた時も、受験に失敗して浪人した時でも。KANさんの楽しい楽曲だけでなく、せつなく悲しい楽曲も口ずさみながら「きっと自分は幸せな人生を送る」とどこか信じ切っていた。まだまだ人生は長い。その自分の物語に私は、輪郭ははっきりしないながらも、前途洋々、期待していた。
そして今。最愛の妻に恋をして結婚し、かわいい子供たちと家庭を築いている。望んだ仕事にもやりがいをもって働けている。でも、なんだろう。KANさんの曲を聴き、あの頃の自分の情緒がフラッシュバックすると、当時の前途洋々感と比べてしまい、心がさざめく。自分の人生の残された時間はおそらく、これまで生きた時間よりももう少ない。既に父を亡くしたが、身内を亡くす経験がこれからも待ち受けている。結婚や子供が生まれるなどのしあわせな大イベントも既に済ませてしまった。
普段の私は、家族と楽しい日々を笑って過ごしている。職場でも、ポジティブなキャラクターだと思う。なのに、KANさんの声や楽曲に触れると、表現しようのない感傷的な気持ちになる。若い頃に聴いていた他のアーティストの曲だとそこまで感じないのに、なぜKANさんだけ、そんな現象が起こるのだろう。不思議だったけれど、それは「自分の未来をイメージ開発する日々のBGMが、もっぱらKANさんだったから」なんじゃないかと、この記事を書いていて気付いた。

自分なりのKANタービレ

アクティブな他のストキンさんのSNSやブログを見ていると、自分はなんなんだろうって情けなくなる。男性更年期なのだろうか。更年期LOVESTORYだろうか。そもそも、10年もリアルタイムで疎遠だった時点で、ファンを名乗るのがおこがましく感じる。

でも、KANさんが亡くなって1年、この感情をこうやって言語化してみることが、まず自分にとって必要な第一歩だと思った。

私は父も早く亡くした。もっとこうしていれば、という気持ちが数年は続いた。受け入れて、父との時間を前向きに思い出せるようになるには時間がかかった。KANさんのことも、同じように時間が応援してくれると、それは信じている。

とりあえず、この記事を書いたこと。そして、勇気を出して『BAND LIVE TOUR 2022【25歳】』Blu-rayを買ったこと。封を開けてディスクをセットすることができるのはまだまだ先になりそうだけれど、これが、1年目の私なりのKANタービレだ。

f:id:degion:20241110225759j:image

※過去のKANさん記事

病気が発覚した頃や、訃報まもない頃の記事はアドレナリンが出ているのを感じる。これも父を亡くした時と同じだ。その後、こんなにガクっとくるとは。来年は、どんな風な心境になっているだろう。