この備忘録を共有したいのは
映画や小説の『何者』に興味がある人
この備忘録を読めば
映画と原作小説との違いや、『六人の嘘つきな大学生』との違いについて、整理して理解することができます。学びになる要素も紹介。
スポンサーリンク
<目次>
- 朝井リョウ『何者』あらすじ
- 映画『何者』キャスト
- 注意!以下、ネタバレあり
- 原作小説の世界観に、とても忠実な映画
- 映画と原作小説のささいな違い
- 原作の、拓人の心の声が映画ではカット
- クライマックスの衝撃が原作の方が強い
- 伏線回収の仕方
- 映画の好きなシーン
- 映画の残念だったところ
- 『六人の嘘つきな大学生』との比較
- 『何者』から学んだこと
- まとめ
- おすすめの一冊
朝井リョウ『何者』あらすじ
就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから――。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えて……。直木賞受賞作。(新潮文庫背表紙より)
映画『何者』キャスト
5人を演じるのは、佐藤健さん、有村架純さん、二階堂ふみさん、菅田将暉さん、岡田将生さん。さらに、拓人の先輩役で山田孝之さん。全員が主演級の人気俳優陣が集結。皆さんそれぞれのキャラクターにとてもはまっていて、凄いと思いました。
注意!以下、ネタバレあり
スポンサーリンク
原作小説の世界観に、とても忠実な映画
もっぱら、小説を映画にしようとすると時間の都合上、多くのことをカットせざるをえません。それゆえに、登場人物や物語通しての印象が変わってしまう映画作品もこれまで多く観てきました。
その点、本作はとても原作に忠実な、原作にリスペクトを感じる映画と言えると思います。時間にして97分。この短い時間に収めるため、描かれる時系列が変わったり、カットされるシーンも多いですが、可能な限り、小説の細かな設定やセリフをパッチワークのように隙間隙間にはめ込むことで、原作の世界観をうまく再現していると感じました。
たとえば、作中登場するイチゴは光太郎の実家からでなく、映画では理香のホストファミリーから送られたり(小説ではチョコレートだった)。その場面で、小説では別の場面の光太郎のセリフ「名刺って、なんじゃそりゃ!」が「ホストファミリーって、なんじゃそりゃ!」というように流用されていたり。他にもこのような細かなトリビア的組み換え事例がたくさんあって、ニマニマしちゃいます。
映画と原作小説のささいな違い
上述のように、小説から映画での大きな改変はありませんが、ささいな変更はあります。
冒頭から光太郎が美容院でなく、自分で髪染めていて驚きました笑。その他にも、拓人がギンジに思いの丈をぶちまけるのがサワ先輩のアパートでなくLINEだったり、光太郎と端月のラブラブさを伝える手段が原作はグリーンピースの皿移しだったのがヘッドフォンを二人で分け合うのだったり、ハンカチのエピソードや、隆良が端月のエントリーシートを添削するシーンがカットされていたり。『大日通信』が『全日通信』になったのは、『大日通信』が実在するからでしょうね。
原作の、拓人の心の声が映画ではカット
小説と映画の最も大きな違いは、小説では主人公・拓人の心の声がたくさん挿入されていますが、映画ではその心の声はほぼ語られず、実際に声に出すセリフ、あるいは表情で表現されていることです。
結果、声に出されるとわかりやすくなりすぎ、表情だけの場合はややわかりにくくなっている、そんなきらいがあります。
たとえば、光太郎が仲間にもらった寄せ書きを眺めながら、拓人が「こういうものは共感できる者同士のテリトリーの中で爆発させるべき、想像力がない人は絶好のチャンスとばかり外へ外へと発信する、光太郎のいいところは想像力があるところだ・・・」と長々と心の中で語るシーンは、映画では直接光太郎に「こういうのSNSにあげるやつって寒いよな」ってズバリ言っちゃいます。隆良と理香がそれぞれTwitterでつぶやいている場面では、「なんで直接話さないんだろうね」と言葉にしちゃいます。
逆に、隆良がギンジと今度仕事するって言った時に小説では「仕事っていうなよ、自分のやってること」と拓人の心の声が入りますが、映画では「仕事ね」とつぶやく表情で伝えます。隆良が端月に言い詰められてタバコを拓人に頼むけれど「持ってない」と断る場面、小説では「これで隆良は、ベランダにも逃げられない」という悪意の塊のような拓人の心の声が挿入されています。
クライマックスの衝撃が原作の方が強い
拓人の人間性に関してちょっと好感もてるような心の声も、小説ではちらほら入ります。ライブ終わりの光太郎にカップケーキを買って、「ライブよかったよ」と差し出してあげようとしていたとか、スーツを脱いだ理香を見て「スーツを着ているときもこのくらいのリラックスしてる雰囲気だったらいいのに」と素直な感想をつぶやいていたり。自分が匿名掲示板を覗く行為も「麻薬みたいだ」と自虐的につぶやいていて。そしてなにより、「いいひと感」満載の、端月へのいじらしい恋心。フラれたあと、内定とったあと、拓人に電話してくるのは端月もちょっとズルいと思うのは私だけ?笑
でも、映画ではその心の声はつぶやかれないんですよね。そして佐藤健さんが原作に忠実な役作りを完璧にされているが故に、最初からずっと、「こいつ、裏垢でもやってそうだな」と思わせるような陰気で人付き合いが苦手そうなキャラクターに見えちゃっているのです。
だから、クライマックスで理香に言い詰められるシーンも、さほど映画は驚きがありません。「もったいないな、前半をもっと拓人を交感の持てる描き方をしていればクライマックスの衝撃が増すのにな」と思いつつ、それだとリアリティが損なわれる。この映画の描き方が、BESTだったろうな、と思います。
伏線回収の仕方
この物語で唯一、終盤までミスリードを促されるのが、拓人が就職浪人だということです。
小説でも映画でも、光太郎が拓人に「いろいろ教えてくれよ」「拓人こんなことしてたっけ」「さすが拓人先輩ですねえ」と話しかけたり、サワ先輩が、エントリーシート練習している拓人に「そんなのお前今更やる意味ないんじゃねぇの」と突っ込んだりと伏線が張られています。
ただ、その伏線の回収は異なります。
小説では、理香が拓人を言い詰める場面の最初で「そんなんだから就活二年目になっても内定ゼロなんだよ」と言い放ちます。
映画では、言い詰められて呆然と部屋を出る拓人に、事情を知らない隆良が「いろいろ教えてくれよ。拓人が一番詳しいだろ。就活二年目なんだからさ」と話しかけます。
傷つけてやろうと暴かれた伏線と、悪意無く暴かれた伏線(隆良が嫌味で言ったという見方もできますが、私にはそうは見えませんでした)。
私は、映画の方が鮮やかだと思いました。
映画の好きなシーン
他にも、映画の好きなシーンがたくさんあります。
隆良の成長
上述のように、映画の終盤で隆良は「なんかいろいろ偉そうなこと言っちゃったけど、本気で就職することにした」と言い、拓人に教えてくれよ、とお願いまでします。
小説でも、「#1日1写真」とアウトプットを出し始めた、行動をし始めた描写はあったのですが、彼の成長が映画の方がよりわかりやすく、そして岡田将生さんの演技も爽やかで。映画の隆良の成長は、とても嬉しくて好きな描き方でした。
光太郎のライブ、ギンジの舞台
光太郎のライブで歌う曲、素敵です。特に私は「あとなーんにーちかでー」の曲が好き。菅田将暉さんと親交のあるバンド「忘れらんねぇよ」が提供した、『まだ知らない世界』といいます。歌詞は映画用に少し変わっていますが。
そしてギンジの舞台も好き。あの、技術はさておいての若い情熱、エネルギーが破裂しそうな雰囲気。どちらも、学生時代を思い出してとても懐かしくなる。これは映像ならではだと思います。
光太郎の端月に対する態度
小説で「いままで一緒に住んでいながら一度も聞いたことがないくらい、やさしい声」と描写される、光太郎が内定した端月に電話で話すシーン。菅田将暉さんの演技が、ほんと声が甘くて表情が優しくて。大好きなシーンです。
内定のミスリード
サワ先生の店で光太郎の内定祝いをする場面、映画ではその前に内定に関する拓人のTweetが挟まり、そして途中までも拓人に内定が出たのかもと思わせるミスリードがあります。小説にはない仕掛けだったので、面白かったです。
拓人のTweetの舞台表現からの、端月とのシーン
なんといっても、この映画の一番好きだったのはこの一連のシーンです。
小説では、理香に拓人が言い詰められるクライマックスの後に、過去の拓人の裏垢Tweetがそのまま貼られ、「あぁ、あの場面でこんなこと書いてたのね」と読者は想いを巡らせ、それはそれで面白いです。
でも、映画では、それを演劇形式で観せます。裏垢のTweetごとに舞台が転換し、最後には光太郎、理香、隆良、サワ先輩を従えてセンターで拓人が拍手喝采を浴びる。拓人が周囲から「何者」かとして認められ評価されたいという願望を表す、すごい演出だと思いました。なにか落ち着かない感情を高ぶらせる中田ヤスタカさんのBGMも素晴らしいです。
そしてそして。客席に座っている端月に拓人は気づく。拍手せず、拓人をまっすぐに見つめている。その端月に向かって走りだす拓人。劇場から、端月がバイトしているサワ先輩の店に場面は変わります。このあたりの演出は、まさに映像ならではですね。サワ先輩の店から理香の部屋に行き、そこで理香に言い詰められてからのこの演出なので、理香の部屋からまた、サワ先輩の店に戻ったということで理屈にもかなっています。
あろうことか端月の手にはスマホ、そして拓人の裏垢が。客席から拍手せずにまっすぐに拓人を見ていた、その端月が「にのみやたくとの考える話、好きだったよ」と言う。
小説では、理香に言い詰められることで拓人は周囲からどう見られるかよりも自分らしくあることが大切だということに気づきますが、映画ではさらにこのシーンが後押しします。一番見られたくない人に裏垢を見られ、この言葉。拓人が新しい一歩を踏み出すようになる納得性がとても高い。
「小説の細かな設定やセリフをパッチワークのように隙間隙間にはめ込むことで、原作の世界観をうまく再現している」と前述しましたが、実はこの端月と拓人の会話も、小説の中にもちゃんとあります。なんと前半早々に登場する、面接帰りの電車でのシーン。それをこの場面に持ってきて、なんとうまく料理したのかと。感嘆です。
小説の方がよかったなーと感じる場面もいくつかありますが、それをひっくるめても、この拓人の裏垢から端月のシーンだけでも、この映画を観た甲斐があると思います。
この演出は舞台演劇出身の三浦大輔監督の真骨頂だと感じました。ちなみに三浦さんは小説のあとがきも担当されていて、これがまた洒落が効いた内容で面白い。この作品をほんとに愛している監督だから、この映画は成功したのだと思います。
スポンサーリンク
映画の残念だったところ
一方で、上述したクライマックスの衝撃度が映画ではやや低いことに加え、次のふたつは、私は小説の方が好きでした。
理香の内省
クライマックスシーン。映画では理香が拓人を言い詰めて、最後に「私も同じようなもんか。Twitterで自分の努力を実況中継してないと立ってられないから」と泣き崩れます。でも小説ではもっともっと、理香が自分自身に向き合いながら語るセリフが多いです。
「自分は自分にしかなれない」「留学したってインターンしたってボランティアしたって、私は全然変わらなかった」「今でも、ダサくて、カッコ悪くて、醜い自分のまま」「今まで会った大人たちが心の中できっと笑ってることも、わかってる」「だけどこの姿であがくしかない」「カッコ悪い姿のまま、がむしゃらにあがく」「その方法から逃げてしまったら、もう他に選択肢はないから」「ダサくてカッコ悪い自分を理想の自分に近づけることしか、もう私にできることはないんだよ」
上記はほんの一部。単に拓人を責めるというよりは、理香が自分自身を内省しながら切り刻んでいるような。だけど絶対に倒れずに私は立ち続けるんだという魂の決意表明のような。そんな印象を私は受けました。
とても理香という人間に最後に共感し、感銘を受けたシーン。このクライマックスシーンは映画では3分ほどですが、小説では実に20ページにも渡ります。拓人、思わず「もうやめてくれ」と心の声。すごい読書体験でした。
ラストの面接
ラストの面接、映画では「あなたを1分間で表してください」の1問ですが、小説は「最近ネット通販で買ったものとその理由」「心を動かされたことは」「自分の短所と長所は」の3問です。
映画の拓人がギンジの舞台を観に行った感想を脈絡なく時間も守らずダラダラ語るのに対し、小説は「貸してもらっていた友人と仲たがいしたからプリンタを買った」「会えないかもしれないと思っていた人たちと友人の舞台に一緒に行けるかもしれないということ」「短所はカッコ悪いところ、長所はそれを認めれたところ」と、ぱっとしないながらもちゃんと答えています。
原作の拓人は、理香とのクライマックスシーンを経て、嫌な自分と向き合いながらも、就活ともちゃんと対峙し続けている。だからこそ、「落ちても、たぶん大丈夫だ。不思議と、そう思えた」という心境になれたのだと思います。一方で映画の拓人はあまりの体たらくで、はなからひとつの面接を捨てたような投げやりにも映り、私は小説の終わり方の方が好きでした。
『六人の嘘つきな大学生』との比較
「月の表側と裏側」「月の表面と内面」
同じく就活を扱った物語『六人の嘘つきな大学生』は、「月の表側と裏側」がひとつの大きなテーマでした。「就活は、良いところしか見せない」と。拓人が言う「就活ってダウトみたいなもんでさ」というセリフは、通じるものがあるように思います。
ただ、似ていて非なると私は感じていて、『六人の嘘つきな大学生』が外から見える「月の表側と裏側」がテーマなのに対して、この『何者』は、自分からの視点である「月の表面と内面」がテーマだと思います。
外からの見え方はコロコロ変わる。それは見ている側の見方の問題であって、見えているものは変わらないのに。だからこそ『六人の嘘つきな大学生』はその月の表裏がことごとくひっくり返っていく様が実に面白く、「気持ちよく騙された!」と思えるエンタメ作品です。
一方、視点が自分からとなると、自分が一番自分のことをよく知っている。だから、いくら月の表面をカッコつけて整えても、内側の葛藤や心情がこの『何者』では序盤から徐々に徐々に滲み出て、ラストに近づくにつれ、拓人にしろ理香にしろ隆良にしろ、月の内側の物語になります。
『六人の嘘つきな大学生』がエンタメ作品として「このミステリーがすごい!」「ミステリが読みたい!」はじめ様々な賞にランクインしているミステリーであるのに対し、『何者』は文学作品であり、直木賞を受賞したのも納得です。
※『六人の嘘つきな大学生』についてのネタバレ考察はこちら。
『何者』から学んだこと
最後に、この作品から私が学んだことを備忘録として。
誰かから評価される何者でなく、自分が納得できる自分であろう
小説の理香の言葉が刺さりました。映画の端月みたいに言ってくれる人は今そばにいないけれど、自分自身に言ってやりたいと思います。
想像力を働かせる。自分の想像力を過信しない
物語で何度も登場する、「想像力」。他人に「想像力がない」とレッテルを貼る拓人のようにならないように。
頭の中だけでなく、恐れずアウトプットしてみる
端月に言い詰められて、隆良は一歩踏み出しました。原作者の朝井リョウさんも、インタビューで「作家として、一番大切なことは」と問われ、こう答えられています。
「駄作でもいいから書く、ということ。書かないよりは書いたほうがいい、ということ。『これはまだ形にならないから』『こういうものを書くのは早いかな』そんなことは一切考えずに、頭の中からどんどん出していかないと、と常に思っています」
まとめ
今回の備忘録
小説『何者』はクライマックスの衝撃がすごい。映画『何者』は終盤の演出がすごい。
面白く、自分自身も成長しようと感じることのできる、素晴らしい作品。
・誰かから評価される何者でなく、自分が納得できる自分であろう
・想像力を働かせる。自分の想像力を過信しない
・頭の中だけでなく、恐れずアウトプットしてみる
ちなみに、映画で割愛された、隆良の裏垢の名前が・・・「備忘録」。ドキっ!
おすすめの一冊
「六人の嘘つきな大学生」浅倉秋成
文中で比較した『六人の嘘つきな大学生』。同じ就活モノで、こちらも面白いです!