この備忘録を共有したいのは
映画『#真相をお話しします』を観て、原作小説との違いが気になった人
この備忘録を読めば
映画と原作小説との違いについて、整理して理解することができます
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<目次>
- はじめに
- 『#真相をお話しします』原作小説
- 『#真相をお話しします』映画
- 注意!以下、ネタバレあり!
- 映画と原作小説の違いまとめ
- ミセス大森元貴さんの演技の素晴らしさ
- 主題歌:Mrs. GREEN APPLE『天国』
- 初日舞台あいさつの「#真相」
- 入場者特典は3日間限定のクリアカード
- 二宮和也さんが声でサプライズ出演
- 原作小説が「つまらない」というのはお門違い
- まとめ
- おすすめの一冊
はじめに
映画『#真相をお話しします』が2025年4月25日に公開になりました。
長男が大好きなMrs. GREEN APPLE大森元貴さんが主演ということで、一緒にさっそく観に行ってきました!
本記事では、映画と原作小説との違いをレビューします。映画と原作小説、両方のネタバレを含みますので、注意してください。特に、映画をまだ観られていない方は留意のうえ、自己責任でお願いします。
『#真相をお話しします』原作小説
原作小説は、結城真一郎さんによるミステリー短編集。第74回 推理作家協会賞〈短編部門〉受賞作である『#拡散希望』を含み、2023年本屋大賞にもノミネートされました。
収録されているのは下記5編。リモート飲み、YouTuber、マッチング、精子提供といった今の世の中を表す題材が秀逸です。結城さんご自身も、数多のミステリーとの差別化のために意識したと仰っていました。
『惨者面談』
家庭教師の仲介営業バイト中の大学生が、とある営業先の家族のただならぬ異変に気づく。
『ヤリモク」
娘のパパ活を案じる一方、マッチングアプリでの出会いをやめられない、中年男がたどる顛末とは。
『パンドラ』
不妊に悩む夫婦がようやく授かった我が子。そこへ「あなたの精子提供によって生まれた子供です」と名乗る娘が現れる。
『三角奸計』
リモート飲み会に興じる大学時代からの友人3人。しかし、久しぶりの「再会」にはある思惑が。
『#拡散希望』
島育ちの仲良し小学生4人組。あの日「ゆーちゅーばー」になることを夢見た彼らの末路は。
『#真相をお話しします』映画
原作小説のうち『パンドラ』を除いた、『惨者面談』『ヤリモク』『三角奸計』『#拡散希望』の4編を実写化。映画オリジナルの設定やエピソード加えることで、単なるオムニバスドラマでなく、一本の骨太なストーリーに仕上がっています。
大森元貴さんと菊池風磨さんがW主演
メガホンをとったのはホラーから恋愛作品まで、さまざまなジャンルを縦横無尽に手がける豊島圭介監督。そして、人気ロックバンド「Mrs. GREEN APPLE」の大森元貴さんと、アイドルグループ「timelesz」の菊池風磨さんがW主演。菊池さんは意外にも本作が初主演、大森さんにいたっては映画初出演。それでいて大森さんはとてもはまり役で、見ごたえのある演技をされていました。現在はNHKの朝の連続ドラマ『あんぱん』にも出演中の大森さんですが、本映画のキャスティングが決まったのは2023年11月、まだ『ライラック』はおろか『ケセラセラ』でレコード大賞を初受賞される前だったんですよね。キャスティングされた方の大ファインプレイだと思います。
注意!以下、ネタバレあり!
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映画と原作小説の違いまとめ
以下に、主だった映画と原作小説の違いを具体的にまとめていきます。登場人物は敬称略で記載します。ご了承ください。
バーチャル生配信暴露チャンネル【#真相をお話しします】
原作小説を先に読んでいて、映画化されると知り、これは『世にも奇妙な物語』みたいなオムニバスドラマになるのかな、あるいは5編のうちのどれか1編に絞って膨らませるのかな、と想像していました。でも、映画を観て驚きました。
鍵になるのが、映画オリジナル設定の「バーチャル生配信暴露チャンネル【#真相をお話しします】」。それは、ランダムに選択された視聴者が匿名で「有名人のゴシップ」や「殺人事件の報道されていない真相」などとっておきの暴露話を披露し、その真相の驚きや面白さに応じて視聴者から多額の投げ銭が投じられるという、前代未聞のチャンネル。実際にこんな企画のテレビ番組やYouTubeチャンネルがあれば、ヒットしそうですね。
この【#真相をお話しします】の中で、『惨者面談』『ヤリモク』『三角奸計』の物語がそれぞれのスピーカーによって語られるという立て付け。なるほど、こうきたか!と唸りました。
それぞれのエピソードから、新たな役割を与えられた人物たち
『三角奸計』より桐山(菊池風磨)
この映画は2人の登場人物を軸に展開されます。1人目は、かつて一流商社の営業マンだった桐山。彼は原作小説『三角奸計』の中心人物。ということは、『三角奸計』を軸に掘り下げていくのかな・・・と思いきや、そんな単純なことではありませんでした。映画で描かれるのは、『三角奸計』に登場する桐山ではなく、事件から3年後の桐山です。
『三角奸計』でのできごとがトラウマになり、人を信じることができなくなって仕事を辞めて借金を抱え、以来、人と深い関わりを持たず、ビルの警備員として暮らしている現在の桐山。そんな彼の人生が、ひとりの男の出現で動き出します。
『#拡散希望』よりチョモ(大森元貴)
その男が、桐山が警備しているビル内に事務所を構える、不思議な雰囲気の男・鈴木。
人なつっこく話しかけてくる鈴木を始めこそ煙たく思っていたものの、すさんだ桐山に多くを聞かず受け入れてくれる姿勢に、桐山もいつしか心を許していきます。そして、鈴木は桐山に、【#真相をお話しします】にエントリーして、投げ銭獲得で一攫千金を狙うことを持ちかけます。
実はこの「鈴木」は『#拡散希望』に登場する『ふるはうす⭐︎デイズ』のチョモこと、渡辺珠穆朗瑪 ( わたなべちょもらんま )。終盤に明かされる、この真相に驚きです。さらに彼は病魔に侵されていて、余命1年。それでなくても壮絶な人生なのに、この残された時間が少ないことで、復讐の重さが増して観客の我々にも伝わります。
『#拡散希望』より砂鉄(岡山天音)
一方、【#真相をお話しします】チャンネルの管理人であり司会が、なんと『#拡散希望』に登場する桑島砂鉄ということは桐山が『砂鉄さま・・・!』とつぶやくことで早々にわかります。思わずここで「えっ!!!」と声が出ました。
砂鉄とチョモは原作小説『#拡散希望』の事件のあとも仲良く二人で支えあっていたのですね。そして、チョモの考えた復讐劇を一緒に実現する。チョモにとって、頼れる親友の砂鉄がそばにずっといてくれたことは唯一の幸運だったと思います。
『#拡散希望』よりルー(中条あやみ)
桐山が主人公なので『三角奸計』が軸かと最初は思いましたが、実は最初に鈴木が『ふるはうす⭐︎デイズ』のまとめ動画を観ているシーンがあり、さらには鈴木がヨガ経営者の女性を車から見張っていたり、ボーガンの材料をホームセンターで買いそろえて組み立てていたりと、この映画が『#拡散希望』が軸であることの伏線は冒頭からたくさん張られていたのですね。
このヨガ経営者の女性が、大人になったルーこと安西口紅です。原作小説では子供時代のチョモと砂鉄がルーを問い詰めて罰をくだそうとしますが、その結末は描かれていません。映画では、大人たちがかけつけ、未遂に終わります。そして『ふるはうす⭐︎デイズ』はフェードアウト。大人になったチョモと砂鉄が、再びルーを裁こうとします。
『惨者面談』『ヤリモク』それぞれのスピーカー
映画当日にオンエアされた【#真相をお話しします】チャンネルの中で、最初のスピーカーに選ばれたのがハンドルネーム:カテキョこと片瀬洋介。彼が『惨者面談』のエピソードを語ります。
そして次に選ばれたのはハンドルネーム:ミーコ。彼女が語るのは原作小説の『ヤリモク』。普通に行けば『ヤリモク』のスピーカーはケントのはずだけれど、そうではない。実は彼女はケントの娘・美雪であるという真相が、映画の観客には明かされます。
それぞれの物語は少しずつ改編
『惨者面談』『ヤリモク』『三角奸計』それぞれ、基本的には原作小説に忠実に、映画の尺に調節するために、よりわかりやすく少しずつ改編がなされています。
『惨者面談』
話をシンプルにするために、原作小説に登場するとぼけた社長・宮園は登場しません。それゆえ、真相に気づいた片瀬は宮園に連絡するのでなく、逃げて警察に駆け込みます。また、トイレの母親の死体を片瀬は発見してしまい、犯人である桂田恵子が「だからダメだって言ったのに」とぬーっと現れるシーンは、このエピソードのホラーさ加減をわかりやすく際立たせていました。桜井ユキさんの演技が素晴らしくて、ちょっと子供には怖いパートだったかも。隣の息子も目をふさいでいました。
『ヤリモク』
こちらもたくさんの伏線(シャワーヘッド、白湯、ベッドメイキング、7回目…)は残しつつ、うまく実写化されていました。原作小説ではケントの心の声が、いかにもエッチ目的の心情かと最初ミスリードする役割を担っていましたが、映画では伊藤英明さんが表情などでうまくそれを表していました。
原作小説ともっとも異なった部分は、最後、ケントが包丁を背中に張り付けていた、返り血を浴びたガムテープを現場に忘れていくという凡ミスで、警察に捕まることまで映画では示していること。その凡ミスの理由は、娘も美人局の犯罪メンバーであったことを知ったこと・・・だけでなく、自分のことを「キモすぎる」などと書かれていたことにもショックを受けていて、これも、完全なる殺人犯であるケントが、娘のことになるとひとりの凡人になるという描写がわかりやすくなされていました。
『三角奸計』
原作小説では冒頭から「今からあいつを殺しに行く」という入りで引きが強いですが、それは尺の都合上、普通に流れで途中で出てきます。また、原作では宇治原が声が出せない設定にして、事前に録画した動画をリモート画面に流しておくという込み入ったトリックを使っていましたが、映画ではシンプルに、バーチャル背景で話を進めていました。個人的には、原作のトリックの方が大袈裟でほころびが出そうに感じていたので、納得でした。
そして、最後のシーン、原作では桐山を本当に許したのか、もしかしたらミナミを殺害した後に桐山にも何かしらの罰をくだしたのかもと私は思っていたのですが、映画では桐山を宇治原がハグし、許したことがわかりやすく伝わります。「大切な話はリモートでなく対面ですべき」というキラーメッセージは映画でもかなりパンチが効いてます。
『#拡散希望』
こちらも、細かな省略(凛子の亡くなった現場に砂鉄のキーホルダーが落ちていたり、凛子のスマホにチョモも指紋認証を登録するくだりなど)はありながらも、原作を忠実に再現していました。印象に残ったのは、凛子とチョモの互いの好意、特に凛子のチョモに対する好意をよりわかりやすく描写していたことです。チョモの傷を凛子が介抱するシーン、凛子がチョモにキスしようとするシーン。中学生の息子と一緒だったのでちょっと気まずいくらいでした。でも、そのことで、チョモが復讐する理由がよりエッジが効いてきます。
あと、チョモ・砂鉄・ルーの子供時代を演じられたみなさんが、本当に大森さん・岡山さん・中条さんの子供時代と言われても全く違和感がない。驚きでした。
原作小説のメッセージをより輪郭シャープに、強調した映画
この映画は桐山と鈴木の二人が主人公ですが、あえてどちらか一人の物語といえば、チョモこと鈴木の物語だと思います。映画の最初と最後いずれも鈴木のシーンであることからも、そう感じました。
原作小説でも、チョモは『ふるはうす⭐︎デイズ』の視聴者に”高評価”か”低評価”かを押すように投げかけます。”高評価”の方が多ければ、ルーを崖から突き落とす、と。初見で読んでいた際、自分にも問いかけられた気がしたものです。
しかしながら、映画ではよりそれが強烈です。チョモは宣言します。視聴者の”高評価”が多ければ、ルーをボーガンで撃ち抜く。一方、”低評価”を押した視聴者は、本名や顔、あろうことか個人口座の番号まで、個人情報をさらすと。実際に、スピーカーとして高額な投げ銭を得たカテキョこと片瀬とミーコこと美雪が見せしめになり、片瀬は銀行預金が瞬く間にゼロになり、美雪は家のドアを叩かれる音に身をひそめるのでした。
そして、桐山は鈴木から「あなたは特別です」と、個人情報を即座にさらされることがないかわりに、一人目の選択を皆の前で迫られたのです。
最初は”高評価”を押したものの、途中で”低評価”に鞍替えし、視聴者たちに「殺しちゃダメだ!」と訴える鈴木。”低評価”がちらほらと出だすも、圧倒的大差で”高評価”の数字が伸びていき・・・そして正真正銘のラスト、鈴木が映画を観ている私たちに向かって涙を流しせまります。「さあ、選べ。」と。
映画を観て釈然とせず、モヤモヤした点
この、映画独自の終盤の怒涛の展開を観ている途中には、少し物申したくなる箇所もいくつかはありました。
① チャンネル視聴者の銀行口座までさらすのはやりすぎでは?
そもそも150万人以上もの視聴者の銀行口座を把握する、そんなことがまずもって現実的にできるのか、私には知る由ないのですが・・・。仮に可能だとして、スピーカーも視聴者も、そこまでされるほど悪いことしてるか?と最初、率直に感じました。だって、片瀬って原作小説でも機転の利く良い奴だし。彼のおかげで殺人犯が捕まり、少年の命はおそらく助かった。そして、チャンネルの企画趣旨に乗っただけで、そんなに悪いことしていないと思います。
本名や顔をさらされる。私は特にドラマチックな生き方をしているわけでもなく、人生も後半戦だし、自分自身だけのことなら“高評価”を押すところ。でも、ことはそう簡単でなく、妻や息子たちまで被害が及ぶ可能性があるから、悩む。それどころか、銀行口座までさらされて片瀬のように預金がゼロになる可能性が濃厚となると、これは生きていく為に、正直、きつい。こんなことが許されるわけなく、警察や司法の助けで後からお金が返ってくるのなら良いのだけれど・・・。
この思考プロセスそのものが私の価値観であって、この記事を読んでくださっている皆さんそれぞれも違うのかもしれない。これこそが、監督や演者の皆さんが突き付けた問いかけに答えるということなのかもしれないと感じます。
② もっと先に裁くべき対象がいるのでは?
私はこの作品は、「安全なところから弱者をあざけり笑うことの醜さ」を訴えていると感じました。でもそもそも、その意味合いでは、悪趣味なチャンネルをウォッチしている視聴者よりも先に、もっと裁くべき存在がいるように思います。ウォッチしているだけでなく誹謗中傷の書き込みを匿名で行っている人や、手のひら返しで寄ってたかって叩く一部のメディア、世の中を煽る盛った内容や事実無根を垂れ流す一部のマスコミ、自分がさも世の中の代表であるかのように会見でふるまう一部の記者たち・・・。
そして、この物語においては、まずもって裁くべきは『ふるはうす⭐︎デイズ』の配信メンバー6名、すなわちチョモと砂鉄とルーそれぞれの両親ではないかと。映画ではチラリと映るだけなので見逃した方もおられるかもですが、3人の名付け親や、居住地まで視聴者投票で決定しているんですよ。スマホやゲーム禁止も、教育方針ではなく、あくまでビューを稼ぐための企画。また、ルーが凛子を崖から突き落としたとして、チョモの家の時計のアリバイトリックは小学3年生が単独で考え、実行し切るのは無理がある。ここでも親たちが関与していたと考えるのが自然だと思います。
もちろん、とはいえ、自分たちの親には育ててもらった恩もあるでしょうから、崖から落としたりボーガンで撃ち抜くといった考えには到らなかったのかもしれません。そしてそのうえで、チョモと砂鉄なりの相応の復讐を成したのかもしれません。でも、本来もっとも怒りの矛先が行くべき親との関係性が描かれていなかったため、ルーやチャンネル視聴者に復讐の矛先が向くのはちょっと釈然としないところはありました。ちなみに、豊島監督の設定資料によれば、チョモと砂鉄は『ふるはうす⭐︎デイズ』最終回の事件後、親とは早々に縁を切ったそうです。
とはいえ胸に刺さった、渾身のメッセージ
このようにモヤモヤ釈然としない点は少しはあったものの、この終盤の怒涛の展開で、大人になったチョモと砂鉄が突き付けてきたメッセージは胸に刺さりました。
今は、SNSのおかげで何もかもが簡単になってきてしまっている。自分の手を汚さず、心も乱さず、簡単に人を傷つけてしまえる。
大切なことは「想像力」。自分のそのつぶやき、コメントが、画面の先の見えない誰かを傷つけていないだろうか。そしてさらに、自分が楽しんでいるそのチャンネルやその掲示板の内容が、誰かを傷つけているものではないだろうかと。他人事でなはい。自分も大なり小なり、知らず知らず醜い加害者になっている可能性がある。
上述した、「安全なところから弱者をあざけり笑う」ことの醜さ。銀行口座をさらされるのはやりすぎだろうと思いつつも、自分自身にだって身に覚えを感じることもあり、突きつけられたメッセージがとても胸に刺さりました。
まさに視聴者参加型エンタテイメント
そして私がこの作品が「すごい!」と思ったのが、最後の最後、鈴木が映画館の観客席側にカメラ目線になって「さあ、選べ。」と涙を流してせまった瞬間です。
「ドキッ!」としました。そして、エンドロールが流れ出し、「えっ!?」と思いました。これで終わり!?と。
こんな終わられ方をしたら、否が応でも、自分事として自問自答しないわけにいかない。原作小説の終わり方ももその印象はあるのですが、映画のこの終わり方は本当に強烈でした。映画が終わってもまだ終わっていないような、映画と実世界の境界線がないような、不思議な体験でした。
原作小説で子供のチョモがつぶやく「さあ、選べ。」が、映画でこんな風に大人になったチョモで再現される。原作へのリスペクトをとても感じつつ、原作以上の強烈な印象を受けました。
チョモと砂鉄がやりたかったこと
このように、映画本編は突然のぶつ切りで終わります。途中経過は高評価が低評価を圧倒的大差で上回っており、挽回不可能な状況です。
この先は描かれていませんが、皆さんは、チョモと砂鉄はボーガンの弓を引いてルーを撃ち抜いたと思いますか?
私は、思いません。
映画のチョモと砂鉄がやりたかったこと。それは、視聴者や世の中に対し、「安全なところから弱者をあざけり笑うことの醜さ」そして「おまえもそうじゃないか?」と突きつける、訴えかけることだったのではないかと思います。
であれば、実際にルーを撃たなくても、目的は一定、達成している。
映画を観た私は、チョモと砂鉄は、それで十分だと思ってしまう(あえて思って「しまう」と書きます)人としての儚い美しさを持っていると感じました。
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ミセス大森元貴さんの演技の素晴らしさ
鈴木こと大人になったチョモから受けた強烈な印象、それは大森さんの演技あってのことでもありました。
映画初出演とは本当に思えないほどの、幅のある表情、目線、訴えかける力。鈴木そのものに見えるくらいはまっていました。リアルの大森さんもかつて、色々と憶測をSNSなどで書かれることに「んなわけなかろう って事ばかりで嫌になる!」とコメントされていたし、リンクする感情もあったんだろうなぁと思います。
主題歌:Mrs. GREEN APPLE『天国』
「ドキッ!」としたまま流れ出したエンドロール、そして主題歌の『天国』。ほんとに、ミセスは、大森さんは、どれだけ名曲を生み出したら気がすむんだと思いますね。
大森さんは「映画作品の主題歌を書くということは神聖なこと」として普段と同じ熱量で取り組んだと仰っていますが、撮影中に書き上げたというこの曲は、まさに鈴木の為の歌のように感じます。歌詞の内容は、亡くなった凛子に向けた想いのように私は伝わりました。
そして、私が最も印象に残ったフレーズは「ともすれば もう 醜悪な汚染の一部」です。たとえ自分が悪趣味なチャンネルや掲示板をウォッチしているだけでも、「醜悪な汚染の一部」であることは否めないなと感じました。
映画館では、この『天国』も最後、ブツッと切れたような印象がありました。どこまでも観客である我々に映画と実世界の境界が混乱するような感覚に導き終える映画だと感じました。
音楽番組でミセスが『天国』を披露する際、ひろぱこと若井滉斗さんとりょうちゃんこと藤澤凉架さんが、とても存在を控えめに(といっても存在感あるのですが)演奏されているのが印象的でした。
初日舞台あいさつの「#真相」
初日舞台挨拶中継も、映画館で鑑賞しました。登場されたのは豊島監督と、大森元貴さんと菊池風磨さん、そして岡山天音さんと中条あやみさん。W主演のお二人は当然として、たくさんの魅力的なキャストの方のなかで岡山さんと中条さんが選ばれた意味が、映画を観てからわかりました。天音さんが演じられたのが【#真相をお話しします】チャンネル管理人でありながら大人になった砂鉄、中条さん演じられたのがヨガ教室経営者であるながら、大人になったルー。菊池さん以外は、大人になった『ふるはうす⭐︎デイズ』を演じた3人だったのですね。
中条あやみさんが、自身の大変だった点として「セリフが・・・」と仰っていました。周囲からも「あんなの初めてみたもんね。大変だと思った」と言われていて、ものすごい橋田寿賀子脚本ばりの長台詞だと思い込んでいましたが、映画を観たらおわかりの通り、しっかりミスリードされちゃいました笑。面白かったです。
そして、上述した「映画が終わってもまだ終わっていないような、映画と実世界の境界線がないような」という感想を舞台挨拶で岡山天音さんが仰っていて、その意味も本当に映画を観終わって体感することができました。
菊池風磨さんがかなりいじられていたのが、面白かったです。
入場者特典は3日間限定のクリアカード
公開初日から3日間の限定で、全国の劇場にて、クリアカードがプレゼントされました。
スマホを手に持つ大森さん演じる鈴木と、菊池さん演じる桐山。その画面上には、Goodボタン(高評価)とBadボタン(低評価)が映し出されており、二択を迫られているかのようなデザインとなっています。
この映画を観て以来、私はこれを財布に常に携帯して、随所で「自分の言っていること、やっていること(言おうとしていること、やろうとしていること)は醜くないか?」と自問自答する意識を持つようにしています。それは、稲盛和夫さん流に言えば「動機善なりや、私心なかりしか」であったり、最近のカタカナを使えば、「インテグリティ」に沿っているか、ということ。今の私には、「醜くないか?」がしっくりきます。
二宮和也さんが声でサプライズ出演
大森さんと菊池さん、共通の仲良しお友達であるニノこと二宮和也さんが声でサプライズ出演されていました。どこで登場されたかおわかりでしょうか?
正解は、桐山が電話で話していた借金取りの男です。映画館で初見の際、「ん?もしや?」と思ってニノニノ、いやニマニマしてしまいました。
原作小説が「つまらない」というのはお門違い
さて、ここまで映画を中心に、この『#真相をお話しします』の魅力を語ってきましたが、もちろん、結城真一郎さんの原作小説の面白さあってのことでもあります。
しかしながら、ミステリー小説をある程度これまでに読んでこられたことのある方ならきっと、それぞれの物語に大きな驚きはなく、ある程度予測ができる展開だとも思います。それ故にレビューや書評で「浅い」「期待外れ」「つまらない」といったコメントも多く見かけるのですが、それは大きなお門違いです。
意識したのは、ミステリーを読んだことのない若い世代
本作は、テンポがとても良くさくさくと読み進むことができます。結城さんいわく、今の若い世代、ミステリーを読んだことのない読者のことも意識されたとのこと。昨今はWEBにしろ動画にしろ瞬時に見続けるかどうかが判断され、音楽ですら、イントロが長いと受け入れられにくい時代(個人的にはこのような傾向は好きでないですが)。だからこそ、読み始めて10秒で興味をひくように、特に冒頭には気をつけられたそうです。
つまり、ミステリー小説を何冊も読んできたような人は、そもそも本作のコアターゲットではないのです。
小さな伏線が全部畳まれる心地よさ
とはいえ。私もミステリーを過去何冊も読んできた者として、ひとつひとつの物語の顛末はある程度予測できてことさら驚くようなことはなかったものの、読後感は良かったです。
展開がわかっていながら楽しめるちょっと怖いアトラクションみたいなもので、散りばめられた小さな違和感を探り探り味わいつつ、最後にそれら違和感が伏線としてことごとく畳まれていく、「ほらほらやっぱりー」という心地よさ。もちろん、見逃していた伏線もあり、楽しめました。
そういう意味で、裏面の紹介や帯にある「どんでん返しの5連撃」「大どんでん返しのラストが癖になる」「容赦ないどんでん返しの波状攻撃」などは煽りすぎだと思いますね。でも、「二度読み必至」に偽りはないと思います。
まとめ
今回の備忘録
映画『#真相をお話しします』は、原作小説の世界観はそのままに、大胆なオリジナル設定を組み込むことで、原作のメッセージをさらに強烈に観客に訴えかけてくる、すごい作品でした。
安全なところから弱者をあざけり笑うことの醜さ。自分もそうではないか?と、自問自答せずには得られない。
おすすめの一冊
「#真相をお話しします」結城真一郎
映画『#真相をお話しします』を観て、原作小説を読んでいない方はぜひ、読んでみてください。今回の映画で登場しなかったエピソード『パンドラ』も、他の物語と同じく楽しめます。