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【ネタバレ考察】「鬼滅の刃 無限城編」映画と漫画の違い、アニオリ

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映画「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」を観て、原作漫画との違いやアニオリが気になった人

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映画「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」に関して、多くの原作漫画との違いやアニオリを知ことができます

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<目次>

はじめに

2025年7月18日に公開された「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」(外崎春雄監督)。初日から8日間で興行収入100億円を突破し、日本で公開された映画史上、最速での興収100億突破の新記録を打ち立てました(興行通信社調べ)。

『鬼滅の刃』大好きな私も息子たちと早速観に行って、全集中かつ栗花落カナヲの彼岸朱眼ばりに目を見開いて観劇してきました。

本記事では、映画と原作漫画の違いやアニメオリジナルのエピソードを中心に、筆者の想いや考察も交えて紹介します。一部キャラを除き敬称略、ご了承ください。

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原作に非常に忠実、アニオリはあくまでも演出強化

まず、全体的な印象ですが、原作漫画に非常に忠実です。時系列も、エピソードも、セリフも。原作の完成度が非常に高いので、これまでのufotableさん制作の鬼滅映画同様に今作も新たな敵や物語の設定などのアニオリ追加がなかったのは、良かったと思いました。

以下に記載していくアニオリエピソードは、原作の世界観、物語を演出として強化するものばかりです。

声優さんの演技が素晴らしい!

そしてなんといっても、声優さんたちの声が乗ることで当然、漫画とは異なる、血が巡る躍動、感動があります。

私は今回特に、胡蝶しのぶ役の早見沙織さん、童磨役の宮野真守さん、猗窩座役の石田彰さん、慶蔵役の中村悠一さんの演技に痺れました。

しのぶはこれまでいつも冷静だったり微笑んでいるシーンが多かったので、今回の早見さんの鬼気迫る演技で否が応でも切迫感が高まりました。

宮野さんは、私は昨年から定期放映されている『キン肉マン 完璧超人始祖編』も楽しみに観ているもので、キン肉スグルとの差に心から感服。

石田さんは、現在の鬼の猗窩座と昔の鬼になる前の狛治を、本当に見事に演じ分けられていました。

慶蔵さんは今回の映画が初登場。中村さんが、愛情も腕っぷしも、器の大きい慶蔵さんのイメージぴったりで嬉しかったです。

主題歌がはまっている

今回の映画のオープニング主題歌はAimerの「太陽が昇らない世界」。無限城に落ちていくときの不穏な雰囲気、一方でこれから鬼滅の刃の映画が始まるんだ…という期待に満ちた感情の高ぶり、その両方にマッチする、奇跡のような楽曲でした。
そしてエンディングはLiSAの「残酷な夜に輝け」。依然として厳しい絶望的な状況であることを感じさせつつ、これからまだ続く戦いに一縷の希望を感じさせる曲でした。個人的には、伊之助が「一番強い鬼のところに連れてけー!」って鎹鴉を突っついているシーンでぐっと曲調が前向きになってくるのが好きです。

無限列車編で主題歌を担当したLiSAと遊郭編で主題歌を担当したAimerが無限城で共演することが、すごくいい。そして、タイトルがオープニングで「太陽が昇らない世界」なのが、エンディングでは「残酷な夜に輝け」と、少しの希望の光が刺すのも最高です。

この2曲、どちらも聴けば聴くほど物語とのはまり具合、味わいが増してきます。

映画と原作の違い、アニオリまとめ

映画の時系列順に、下記のような違い、アニオリがありました。

  • 悲鳴嶼行冥の墓参り
  • 無限城が規格外に広い
  • 落下の際のおばみつ手つなぎ
  • しのぶの技のエフェクト、新技
  • 童磨の信者の殺め方
  • カナヲのセリフが善逸に
  • 獪岳回想シーンの背景
  • 獪岳回想シーンの羽織渡し
  • 善逸の「火雷神」のエフェクト
  • 善逸・獪岳戦に関する輝利哉のセリフ
  • 狛治と恋雪の回想シーン
  • 狛治の父親の遺言
  • 猗窩座の最後のシーン
  • 一般鬼殺隊士の活躍
  • 村田の「水の呼吸 弐の型 水車」
  • 輝利哉の脳裏に現れる耀哉
  • 鎹鴉(かすがいがらす)が大活躍
  • ラストの無惨のマイクパフォ
  • 義勇が錆兎とお姉さんを思い出す描写カット
  • 猗窩座戦の義勇のセリフカット
  • 煉獄千寿郎の手紙のシーンカット

それではそれぞれについて、掘り下げていきます。

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悲鳴嶼行冥の墓参り

冒頭、悲鳴嶼行冥が亡くなった鬼殺隊士たちの墓参りをしているシーンから映画は始まります。これはデジャブ。そう、2020年の映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の冒頭、産屋敷耀哉が墓参りをしていたシーンの再来です。

『鬼滅の刃』のひとつのテーマが、「想いをつなぐ」ことだと私は思っています。亡くなった歴代の柱や鬼殺隊士の想いを継ぐ、現役の柱や隊士たち。煉獄さんの想いも、カナエの想いも、錆兎の想いも、そして普通に暮らしていて亡くなった人たちの想いも。

身を挺して犠牲になった産屋敷耀哉の想いは、柱や鬼殺隊士に受け継がれていく。代表して悲鳴嶼さんがそれを表現してくれて、しょっぱなから胸にくるものがありました。

無限城が規格外に広い!

いやぁ、驚きました。2023年の映画「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」の中で無限城を初めてスクリーンで観たときも驚きましたが、今回の無限城のスケールといったら!もはや「城」なんてもんではありません。まるで「都市」、いや、それでも収まりがきかない、まさに縦横に「無限」に広がる。そしてまさに炭治郎が言うように「城自体が生きている」イメージです。

こんな中で鬼舞辻無惨を見つけられるわけがないと、見取り図を描きながら指示を出す産屋敷輝利哉、くいな、かなたの3人だけでなく、観ている自分たちを絶望させるに充分。さらに、敵キャラそれぞれに用意された戦闘エリアもとても見ごたえがありました。鳴女、いい仕事しすぎです。さすがは新・上弦の肆!

落下の際のおばみつ手つなぎ

その鳴女の血鬼術によって、突如、無限城へと落とされていく柱たち。その中で、伊黒小芭内と甘露寺蜜璃が、スカイダイビングのような姿で落下していきながら、なんと手をつなぐシーンが!これはきゅんでしたね。緊張感高まる場面で、これを挟んでくるとは。尊い!

『鬼滅の刃』は、張り詰めた局面でかわいらしいギャグテイストを封入してくることがよくありますよね。この場面周辺でも、ひとり楽しそうな嘴平伊之助とか、竈門炭治郎と冨岡義勇のてちてち歩きとか。その緩急が魅力のひとつでもあるのですが、こういった、ラブロマンス要素を挟む緩急は少ない。

私は原作漫画読了組。その後のふたりに想い馳せ、思わず、声にならない声がでました。さぞかし両隣に座る息子たちは気持ち悪かったことでしょう。すまん。

胡蝶しのぶ vs 上弦の弐・童磨

今回の映画は、のっけからクライマックスです。「起承転結」の王道パターンではありません。クライマックスが終わってまたクライマックス、そしてもう一回クライマックス、まるでのっけからハイスピードのジェットコースターです。

しのぶの技のエフェクト、新技も

その最初のクライマックスが、胡蝶しのぶ vs 上弦の弐・童磨。このバトルでのしのぶの繰り出す技それぞれにモチーフの昆虫が映し出されるエフェクトがアニオリですごくかっこいい。特に「蜈蚣ノ舞 百足蛇腹(ごこうのまい ひゃくそくじゃばら)」、すごい迫力でした。

そして、原作漫画にはないアニオリ技も登場。アブをモチーフにした「虻咬ノ舞 切裂の誘い(もうかのまい せっさくのさそい)」。聞きなれない技だと思っていましたが、7月22日に発売された映画ノベライズに呼び名が載っていました。

ショッキングな退場

原作序盤から人気キャラであったしのぶが、ここで退場。童磨に吸収される様子は漫画よりも格段にわかりやすく、徐々に吸収されていく様子が描写されており、余計に胸が張り裂けるようでカナヲの心中が自分に乗り移ってくるようでした。

カナヲのセリフが善逸に

「好きな人や大切な人は漠然と 明日も明後日も生きてる気がする それはただの願望でしかなくて 絶対だよと約束されたものではないのに」「人はどうしてかそう 思い込んでしまうんだ」という台詞。

原作漫画では前半がしのぶを吸収する童磨を前にカナエとしのぶを思い出す栗花落カナヲ、後半が鬼になった兄弟子・獪岳に対峙する我妻善逸に被さっていました。映画では、前後半まとめて善逸の心の声としてして呟かれました。

物語のテンポ上このような編集になったのかと思いますが、カナヲがカナエとしのぶとの想い出を回想するシーンは次回第二章でたっぷり描かれると思います。

我妻善逸 vs 上弦の陸・獪岳

回想シーン

上述の胡蝶しのぶ vs 童磨の次は、我妻善逸 vs 上弦の陸・獪岳。本映画での善逸は、冒頭の無限城落下した瞬間からずっとシリアスでかっこいい。兄弟子・獪岳との回想シーンが挿入されます。

他の隊士からよく思われていない獪岳の背景、原作漫画は真っ黒だったけれど映画ではほおずき(漢字では「鬼灯」)が描かれている。ほおずきの花言葉は「偽り」「ごまかし」。見た目は派手で実が大きそうなのに、中身は空洞であることからこのような花言葉だそうです。せつない。

獪岳の気持ちもわかる

私の琴線をすごく刺激したのは、善逸と獪岳の育手(そだて)と呼ばれる師匠、じっちゃんこと桑島慈悟郎がふたりに羽織を渡すシーン。魔よけの力を持つという「鱗文(うろこもん)」の羽織。この羽織には、じっちゃんからこれから多くの強い鬼と戦うふたりへの、愛情が込められていたことでしょう。でも獪岳は、なんでも分け隔てなく兄弟子の自分と善逸を扱うじっちゃんに不満で、一度もこの羽織に手を通すことはなかったと、原作漫画の空きページで記されていました。

でも、映画のこのシーン。青の羽織を渡されて、獪岳は、最初、一瞬、微笑んでいたのです。嬉しそうだったのです。それが、まだまだひよっこの善逸も同じタイミングで黄色の羽織をもらっていることを知って、次の瞬間、とたんに顔が険しくなったのです。

獪岳はたしかに、承認欲求の塊だった。善逸が言うように、心の中の幸せを入れる箱に穴が開いていて、どんどん幸せがこぼれていって満たされない。「足るを知る」ことがなかった。愈史郎が言うように、人に何も与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる。ギバー(与える人)でなく徹底的なテイカー(欲しがる人)だった。

でも、誰だってありませんか?承認欲求。

兄弟子として、少し、差をつけてほしかった。羽織をもらって最初嬉しそうだった獪岳を観て、それだけだったんじゃないかなって思いました。すごく胸がしめつけられました。

寝食をともにして獪岳のことも善逸のこともよくわかってたじっちゃんの方針だから間違いではなかったと思うけれど、自分は、職場の自分のチームの中に獪岳のような気持を抱えているメンバーがいないか、気をつけたいと感じました。それでなくとも大正ではない令和の現代は特に、「受け手がどう感じたかか」が重要視される指導が求められるので…。

一方で、自分自身は足るを知り、ギバーとなりたいとも改めて強く思いました。なぜなら、自分の中にも獪岳はいるから。

「雷の呼吸漆ノ型 火雷神」

善逸が最後に繰り出した大技「雷の呼吸漆ノ型 火雷神(ほのいかづちのかみ)」も、しのぶさんの「蜈蚣ノ舞 百足蛇腹」同様、すごい迫力で表現されていました。羽織が破れて「滅」の文字が大写しになる原作漫画の演出はないものの(原作でいつのまにか羽織が元通りになっているという矛盾が起こらないようにされたのかな)、BGMから効果音響から光や龍のエフェクトから最高でした。未見の方は、ぜひこれは映画館で観ていただきたい。

期待していた「善逸!上弦の陸 撃破!」はナシ

我妻善逸 vs 上弦の陸・獪岳戦が始まるに際して、産屋敷輝利哉が「上弦に丙(ひのえ)の隊士ひとりは荷が重い、応援を!」みたいな指示を出すアニオリのセリフがあったんです。

だから、これは、応援が不要になったことを知らせるために原作漫画でなかった「善逸!単独で上弦の陸 撃破!撃破ァァ!」が観られるかも!?と楽しみにしていました。

…が、やっぱりありませんでした。善逸の伝令役は鎹鴉(かすがいがらす)でなく喋ることのできない鎹雀(かすがいすずめ。善逸は心の声が聞こえるので鎹雀と意思疎通ができる)。だから、他の鎹鴉に情報を伝えられなかったのかなと私は思っています。

竈門炭治郎&冨岡義勇 vs 上弦の参・猗窩座

我妻善逸 vs 上弦の陸・獪岳の次は、いよいよ竈門炭治郎&冨岡義勇 vs 上弦の参・猗窩座。クライマックス続きの本映画の中でも、感情の高ぶりは最高潮です。

どうして強くならなくてはならないか?という問いに対して猗窩座が答えるシーン。「それは 強くなければ持って帰って来られないからだ」「親父に 薬を」。上質なミステリーを読んでいたかのごとく、読者・観客の世界の見え方がひっくり返る瞬間。「それは」のあとの若干の間がたまりません。石田彰さんの声で、原作で初めて驚いたときとはまた違う、せつない衝撃が身体中に沁み響きました。

狛治時代の回想シーン

恋雪の看病で厠におぶっていく描写もあったり、原作漫画よりも詳細に、くどくならない程度に温度感のある演出でとても良かったです。また、慶蔵さんが狛治に恋雪と結婚して道場を継いでくれないかと持ち掛けるシーンでは、恋雪の顔が赤く染まっていて、まさに体温を感じました。

その中で、わかりやすくアニオリで登場したアイテムが「お手玉」。看病の月日で、お手玉の数が増えていきます。狛治が上手くなっていくことで月日の経過を表現しつつ、1個、2個、3個と、増えることで狛治、恋雪、慶蔵と家族が増えていくことも表しているようで、胸がじゅわっとなりました。それが最後には狛治でなく猗窩座の手の中で、お手玉が破けて中身の小豆がこぼれているシーンが描かれて。せつなかった。

父親から狛治への遺言「まだやり直せる」

自分の楽しみを犠牲にして、金品を奪うなどのあくどいこともしながら、貧乏な生活で病気の父親の介護をしていた狛治。今でいうところのヤングケアラー。そんな息子を不憫に、父親は首を吊ってしまいますが、その遺言は、「真っ当に生きろ まだやり直せる」。世話をかける自分はいなくなるから、おまえは幸せな人生を歩めという親心だったのだと思います。

なお、原作漫画では「俺は人様から金品を奪ってまで生き永らえたくはない」というメッセージも。個人の生き方として本心であろうとも思いつつ、親目線では「息子に人様から金品を奪わせてまで」という気持ちがとても強かったろうと思います。映画ではカットされていましたが、十分に父親の気持ちは伝わってきました。

自分に「破壊殺 滅式」

しかしながら、原作漫画どおり、やり直せなかった猗窩座。炭治郎の偶然の右ストレートをくらって、慶蔵さんに殴られたことを思い出します。「罪人の悪いおまえは先刻ボコボコにしてやっつけたから大丈夫だ」と。

そして、「倒さなければ 俺が嫌いな弱い奴を」と、自分に向かって「破壊殺 滅式(前作「無限列車編」で煉獄杏寿郎を葬った技)」を打ち込みます。原作漫画ではひとコマでしたが、映画では数発喰らわせているところが描かれ、実際はほんの1、2秒だったと思うのですが、とても長く感じました。

その直前、ボロボロの炭治郎が「破壊殺 滅式」を自分に放たれる危険も顧みず、「俺に構うな」という義勇さんを助けに飛び込む姿を、猗窩座が一瞬ガン見して、その後微笑んだような表情をしました。弱いと思っていた炭治郎が、家族を鬼に食われ、自分も傷だらけになろうとも、仲間を守ろうとしている姿。それが、猗窩座に決断させる最後の決め手になったんじゃないかと、この映画の演出を観て思いました。

最後のシーン、父親、慶蔵、そして小雪からの「おかえりなさい」、狛治の号泣。私は本作を劇場で2回観ていますが、必ずここで思わず涙がこぼれてしまいます。

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鬼殺隊士の活躍、村田の「水の呼吸 弐の型 水車」

原作漫画では最終決戦で熱く描かれますが、今回の映画では序盤から、名もなき一般鬼殺隊士の活躍が伝わってきます。特に、「柱を消耗させるな!」と、悲鳴嶼さんと無一郎を上弦の鬼の元へ向かわせるシーンは胸アツ。

2024年のアニメシリーズ「鬼滅の刃 柱稽古編」第一話で不死川実弥と伊黒小芭内から逃げ延びた鬼も、一般隊士たちに滅されていました。

鬼vs鬼殺隊士の総力戦の様相であることや、柱稽古編の意味がとても伝わってきました。

そしてもうひとつ、ある意味、今回の映画で一番の嬉しいサプライズだったのが村田が技を披露したことです。原作漫画本編では登場せず、17巻の空きページでひっそりと水の呼吸の使い手であることが明かされていた村田。獪岳戦後、愈史郎が善逸を治療していた時、襲ってくる鬼に「水の呼吸 弐の型 水車」を披露して、なんと(失礼!笑)頸を切っていました。このエフェクトがその空きページの記載通りにやたらめったら薄くて、その後、義勇さんが放つ水車のエフェクトとの比較に笑っちゃいました。

同期の出世頭でスーパースターの義勇はカッコいいですが、村田のような普通な存在の活躍に、とても勇気をもらえます。自分も毎日を頑張ろうと思いました。

産屋敷輝利哉、くいな、かなたの奮闘

産屋敷輝利哉、くいな、かなたの3人は産屋敷で何をしているのか、原作漫画を読んでいた時はイマイチよくわからなかったのですが、愈史郎の血鬼術の札の力を借りた鎹鴉から情報を集め、城の見取り図を描きながら、これも鎹鴉を通して指示を出すという重大なタスクをこなしていたのですね。

そんな奮闘する輝利哉の脳裏に、亡くなった父である産屋敷耀哉が現れてアドバイスするというくだりが原作漫画でありますが、今作映画でもアニオリシーンとして、「無惨を見つけられるだろうか」と焦る輝利哉に対し、「きっと見つかる 私の所にも来ただろう 無惨はそういう男だ」と耀哉が現れて励ましていました。

まだ8歳の輝利哉。想像を絶するプレッシャーを受け止めていたはず。この先何度父親が登場してきたって、多すぎるなんてツッコミは野暮というもの…。がんばれ、輝利哉!

鎹鴉(かすがいがらす)が大活躍

産屋敷輝利哉・くいな・かなたの3人同様、伝令役の鎹鴉の活躍ぶりもとてもわかりやすく伝わってきました。

原作漫画の空きページで記されていた、義勇さんの鎹鴉はおじいちゃんという設定もしっかり活かされていました。映画は義勇さんと炭治郎の鎹鴉が2人を心配して声をかけるシーンで終わります。これも、漫画の本編ではなく空きシーンのイラストアレンジ。映画ではこういった空きページや公式ファンブックに記載されている情報もちょこちょこ盛り込んでくれるのが嬉しいところです。

ラストに無惨が次回予告のマイクパフォーマンス

原作漫画にはありませんが、今回の映画のラスト、鬼舞辻無惨が「上弦を倒して良い気になっているようだが、私を倒さねば意味がない。おまえたちは私の元へ辿り着くことはない。今日がお前たちの命日だ。フハハハハ!」的な長台詞を語ります。いかにもTHE・悪いラスボスの次回予告みたいな感じで、わかりやすくて好きでした笑。

基本的に鬼滅の刃は、長台詞で状況や心情説明をしてくれるので誰に対してもわかりやすいですよね。炭治郎がそもそも心の声が長いし。まるで橋田寿賀子ドラマのような親切さです。

原作漫画にあって映画でカットされたシーン

義勇が錆兎とお姉さんを思い出す描写

原作漫画にあって映画でカットされたシーンもありました。そのひとつが、竈門炭治郎&冨岡義勇 vs 上弦の参・猗窩座戦の最中、義勇が錆兎とお姉さんを思い出し、「もう二度と 目の前で家族や仲間を死なせない 守る 炭治郎は俺が守る 自分がそうしてもらったように」と決意をあらたにするシーンです。

これはけっこう原作で好きなシーンなので、ちょっと寂しかったです。もしかしたら第二章以降で取り上げてくれるかな…と思いつつ、柱稽古編でこのエピソードはがっつりやっているので、ここは時間の都合上カットされたんだろうなと思います。実際、これでも「長過ぎる」「回想シーンが多すぎて流れが悪い」などという批評をされる方も多い。制作された皆さんも、回想シーン全ては盛り込まず、もちろん優先順位をつけておられてのことだと思います。

ただ、今回の映画の公式YouTubeの特別動画『そして無限城へ〜冨岡義勇編』では錆兎が登場します。制作側からのせめてものサービスだと感じました。だからこそ余計に、第二章以降は登場しないんだろうなと思いました。

義勇「この男は修羅だ」

同じく猗窩座戦で、「この男は修羅だ 戦うこと以外 全て捨てた男だ」というセリフのくだりもカットされていました。原作を読んでいた際はこのような前振りがあっての人間時代の狛治の回想がより泣けてきたものですが、これも、なくなく時間の関係で割愛されたのだと思います。そして、上述のように、前振りに頼らなくとも、充分に狛治の回想は泣ける演出になっていました。

煉獄千寿郎の手紙

煉獄千寿郎が、鎹鴉に託した、炭治郎への手紙についてひとり語りするシーンも割愛でした。ただ、これは第二章以降に、炭治郎がちゃんと読んでからのくだりがありますので、そこでまとめて披露されるのが確実だと思います。

まとめ

今回の備忘録

映画「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」は原作漫画に非常に忠実で、新たな敵や物語の設定などのアニオリ追加はナシ。とはいえ、原作の世界観、物語を演出として強化するアニオリは多くあり、物語をより面白くし、観る我々を『鬼滅の刃』の世界に没入させてくれます。第二章、第三章が今から楽しみ!

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