誰かと私の備忘録

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『国宝』映画と小説の違い。原作が読みたくなるネタバレ考察

この備忘録を共有したいのは

・映画『国宝』を観て、面白かったと感じており、原作をまだ読んだことのない方

・映画『国宝』を観て、面白かったけれどモヤモヤしたところもあった人

この備忘録を読めば

原作小説には映画に描かれていない多くの内容が含まれていることを知ることができます。原作小説が読みたくなること請け合いです。

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<目次>

はじめに

2025年6月6日に公開された『国宝』(李相日監督)。題材が歌舞伎、上演時間は約3時間と、一見、一般受けしなさそうな作品と思いきや、じわりじわりと興行収入を伸ばし、大ヒットしています。

私は先に原作小説を読んだうえで映画に臨みました。吉田修一さんはANAの機内誌でしか読んだことがなかったのですが…、その世界観に圧倒され、上下巻一気読みでした。

本記事では、映画と原作小説の違いを紹介します。あくまで個人的なイチ考察に基づくものであること、登場人物は敬称略であること、ご了承ください。

原作小説を読むことをお勧めしつつ、映画だけでなく小説のネタバレも一部しています。映画の知識のままで、追加情報なく小説を読む気に既になっている方は、こちらで引き返してください。

映画と小説は別々のものとして2度味わえる

この『国宝』という作品は、原作小説と映画で概ねのあらすじは同じですが、小説の登場人物やエピソードの多くは映画では割愛されています。

小説は文庫上下巻に渡り、818ページにもなります。それを1本の映画にするとなると、当然、削ぎ落として整える必要が生じます。相当な難題であったろうと推察しますが、脚本の奥寺佐渡子さんの手腕で、実に見応えのある作品に仕上がっています。

別々の素晴らしい作品として、2度味わえる。かなりお得です。

映画の素晴らしさ

それではまず、映画の素晴らしさから語っていきたいと思います。

俳優さんの演技の素晴らしさ

よくもまぁ、ここまで歌舞伎役者になりきれたものだと感動を覚えました。 吉沢亮さんと横浜流星さんの演技。本当に鳥肌ものでした。

本編では、厳しい修行のシーンが出てきます。今では良しとされないようなそれはもう厳しいもの。でも、芸を極めようと思えばあれくらいやらねばならないのだろうと、伝わってきました。そしてその修行の成果がまざまざとふたりの舞台に現れていて…。震えました。

脇を固める皆さんも素晴らしかった。特に、万菊さんを演じられた田中泯さんと少年時代の喜久雄を演じられた黒川想矢さんが私は印象に残りました。

映像の美しさ

全編に渡り、映像にすごく洗練された、洒落た美しさを感じました。海外で観る日本文化紹介のドキュメンタリー映像のような、“歌舞伎”でなく、“KABUKI”と字幕出てそうな…。パンフレットを見て、なるほどと納得しました。チュニジア出身のソフィアン・エル・ファニさんという方が撮影監督をなされているのです。

映画オリジナルの素敵なシーン

映画は、「喜久雄の物語」と軸をシャープに定め、エピソードを取捨選択し、組み直しています。故にとてもわかりやすく、3時間があっという間と感じるくらい引き込まれます。

映画オリジナルで、私がとても好きなシーンがふたつあります。

注意!以下、ネタバレあり!

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俊介が喜久雄に化粧を施すシーン

ケガをした半二郎の代役として、「曾根崎心中」のお初を演じることになった喜久雄。緊張極まり、「俊ぼんの血が欲しい。俊ぼんの血をコップに入れて、ガブガブ飲みたい」と、俊介にぶつけます。これは、実の父親に代役として選ばれなかった俊介にとって、とても残酷な台詞。

でも俊介は、「芸があるやないか」と励ましながら、手の震えが止まらない喜久雄の代わりに目元に紅をひいてやる。この、化粧をしてあげるくだりは映画オリジナルです。

なんと儚くて脆い若いふたりの、美しいシーンだったか。特に俊介の気持ちを思うと、観ていられないほど切ないのですが、あまりの美しさに魅入ってしまいました。

喜久雄が俊介の右足に頬ずりするシーン

原作小説において俊介の最後の舞台は「隅田川」ですが、映画では、上で触れた因縁の「曾根崎心中」を持ってきて、俊介がお初、喜久雄が徳兵衛を演じる。まずこの展開がニクいです。

劇中で、お初が徳兵衛を縁の下にかくまい、徳兵衛はお初の足を自分の喉元に押し当てるという場面があるのですが、その際の俊介の右足が、壊死している。既に壊死して切断した左足に続いて。その壊死した右足に、徳兵衛を演じる喜久雄は涙を浮かべながら喉元へ、そして頬をすり寄せる。そのための「曽根崎心中」なんですよね。この完全映画オリジナルのシーンに私は撃ち抜かれました。なお、この演出のため、映画と小説では壊死する足の順番が左右逆になっています。

原作小説の素晴らしさ

ではここからはいよいよ、原作小説の素晴らしさについて語っていきます。未読の人に、ぜひおすすめしたい!

原作小説には、映画には出てこない、喜久雄と俊介を取り巻く沢山の魅力的な人物が登場し、各々が人生に奮闘する姿が描かれています。また、喜久雄と俊介の生き様も、膨大なエピソードで奥行きを持って描かれています。

喜久雄の「血」

歌舞伎界の名門「花井家」の血を喜久雄が持っていないことがフィーチャーされる本作ですが、喜久雄に任侠の名門「立花組」の血が流れていることも大切な要素だと感じました。映画でも父親が撃たれるシーンが印象強く扱われますが、小説では、喜久雄の仇討ちのくだりも詳しく描かれています。

一度恩を受けた人間は決して忘れないミミズクのように生きたいと、背中に刺青を掘った喜久雄。その任侠の生き様が、小説ではどん底の彼を救うことになります。

映画では、万菊さんが声聞きしてくれてすっと表舞台に返り咲いたような描写になっていますが、実は小説にはドラマあり。

任侠の頃から付き合いのある人間(彼も原作ではキーパーソンのひとり)の顔を立てるために行動したことを、彰子の父親が気に入り、勘当同然だったふたりを許してくれるのです。どうです?思った以上に違うでしょう笑。

「徳次」というもうひとりの主要キャラクター

歌舞伎の世界におけるライバルであり親友が俊介だとしたら、任侠の世界における兄弟分が、徳次。原作小説未読の方は、「誰それ?」と思われることでしょう。映画冒頭、立花組の新年会で喜久雄と一緒に余興を演じていた少年です。

小説では、彼が大活躍。喜久雄を支え、芸妓の藤駒(小説では市駒。市駒という祇園舞妓さんが実在した為、映画では改名。本記事では原作小説に纏わる記載も藤駒で統一します)とその娘である綾乃を支え。まるで、バスケットボールに羽ばたいた桜木花道を元の立ち位置から応援し続ける「スラムダンク」水戸洋平みたいな存在なんです(ちなみに漫画で例えるなら、この物語は喜久雄と俊介の歌舞伎版「ガラスの仮面」か)。

娘の誕生日を忘れきってる喜久雄の代わりにプレゼントを準備したり、綾乃を裏社会から漢気で救い出したり。徳次の献身的な活躍あって、原作小説での喜久雄と藤駒、綾乃との関係性は映画とは異なります。私はてっきり徳次が藤駒とくっつくのかなと思いましたが…。

映画ではラスト、国宝になった喜久雄にこれまでの恨み節と祝福のメッセージを贈る綾乃。正直、映画の綾乃に私は共感できませんでした。

母と自分をあんな風に扱う父親の芸を、「お正月迎えたような気分にさせてくれる」なんて評することができるでしょうか。国宝となったことを「ほんまに日本一の歌舞伎役者にならはったね」と祝福できるでしょうか。小説でも、類似するシーンは出てきます。でもそれは、徳次が紡いだ、ふたりの関係性があってのことなんです。映画の綾乃の言葉が本心からのものであるなら、唯一考えられるのは、藤駒が苦労しながら、父親を嫌いにならせないような育て方をしたのだろうなと思います。

実は小説では、この喜久雄の芸を賞賛する台詞はそもそも綾乃ではなく、喜久雄がいない場所で徳次が語るもの。ずっと喜久雄を見守って応援してきた徳次が語ったこの台詞は、純度100%で納得できました。

ちなみに、「彰子ちゃんを騙したのか」と叱責して殴るのも、小説では俊介でなく徳次。「稼いで、喜久雄の楽屋にペルシャ絨毯買ったる」というのも春江でなく徳次。いかに大事な役どころなのかがおわかりいただけるかと思います。

喜久雄や俊介に負けず劣らずアップダウンの激しい「徳次」という魅力的なキャラクターがどんな人生を送るか、ぜひ原作で確かめていただきたいです。私は彼の行く末が判明した時、びっくりして声出ました笑。

自分らしく輝いて生きる女性陣

映画では男性陣に翻弄され耐え忍ぶことの多い女性陣も、原作では、各々の生き様がとても魅力的に描かれています。

ここまでで触れた藤駒も自分の人生を納得して選択して生きているし、綾乃も、父親の喜久雄に自分の人生の肝心なタイミングでは頼むべきことを頼む強さを持っており、自分の納得いく幸せを掴んでいきます。

喜久雄の母親マツも、原作小説では輝きます。息子が未熟な間は支え、息子が成功してからも、邪魔にならぬよう努め、大きな人生の浮き沈みを乗り越えていきます。

葛藤を乗り越え、慈愛する幸子

映画では終始一貫して俊介贔屓で、喜久雄に対して冷たく接している幸子。小説では、その自分の気持ちと戦い葛藤しながらも、喜久雄を花井家の人間として手厚くサポートします。喜久雄の出演舞台の度の贔屓筋への挨拶回りはもちろん、藤駒の出産の世話まで。

原作の幸子の台詞で、私が好きなものがふたつありますのでご紹介。

「あー、邪魔くさい。どうせ、アンタら、すぐに仲良うなるんやさかい。いらんわ、そんな、段取り。でもまあ、しゃーない。喧嘩するんやったら、今日明日でさっさと終わらしといて」。喜久雄と徳次が初対面したシーンです。その先のふたりは、まさに幸子が言った通りでした。

「もう腹くくるわ。うちは意地汚い役者の女房で、母親で、お師匠はんや。こうなったら、もうどんな泥水でも飲んだるわ」。こちらは、喜久雄に「花井半二郎襲名を辞退してえな」と迫り、「辞退します」という返事を受けての台詞。襲名準備のために、喜久雄に花井の家に住めと被せます。映画と異なり半二郎はおらず、喜久雄とふたりきりでのやりとり。映画とは異なる幸子像が浮かび上がりませんか。

春江の決断のプロセスは小説では描かず

喜久雄と別れて俊介と一緒になる。春江の人生は映画も原作も同じです。が、ベッドシーンで喜久雄が春江にプロポーズし、それを春江が断り翌朝に涙するシーンは、映画オリジナルです。

原作小説では、俊介が失踪するくだりで、唐突に春江のことが触れられます。それまでにふたりの仲を匂わせる、伏線らしい伏線はありません。

「俊介がいなくなったその朝に、なぜか春江も姿を消していたのでございます」。小説をここまで読み進めてきた私にとっても、最初の印象は「なぜか」。驚きました。

でもその一方で、とてもリアルだなぁ、わかるなぁ、現実ってそうだよなぁとも思ったものです。

「情けないことに二人の仲を喜久雄は一度たりとも疑ったことがなかったのでございます」。これは二人を信用してたからという美談ではなく、当時の喜久雄は、仕事に比べて春江に対する興味関心がそれくらいのものだった。それ以上でもそれ以下でもないと思います。そこにすごくリアリティを感じました。

そして春江は、喜久雄は自分がいなくても生きていける、俊介は自分を必要としていると感じ、自分らしく生きる幸せを、俊介を側で支えることに見出したのだと私は思います。

小説で最後、喜久雄の舞台を観ながら春江が誰かの顔を思い浮かべるシーン。「思わず慌て、」というのがとても好きです。誰の顔を思い浮かべてどう思ったのか、ぜひ、小説を読んでみて確かめてください。

なお、幸子が春江を一人前の歌舞伎役者の家の女房に育て上げる、このふたりの関係性も小説では見ものです。

喜久雄を頼もしく支える彰子

そして、彰子も映画と小説ではイメージの異なるひとり。映画のようにただ喜久雄に利用され、喜久雄の心を掴めないまま翻弄されて終わるようなことはありません。

彰子の原作での名台詞。

「中途半端なことしないでよ!騙すんだったら、最後の最後まで騙してよ!」

彰子は父親の勘当にもへこたれず、役者廃業寸前の喜久雄に、自身の母親のツテで仕事を回し、立派に支えます。喜久雄の本心も知ったうえで。藤駒と綾乃のことに関しても、広い度量を見せます。

映画の彰子は「どこ見てんのよ」とうなだれながら喜久雄に言い放つのがラストシーンでしたが、原作小説の彰子のラストシーンは、逆に喜久雄からメッセージを受け取ります。その内容も、ぜひ小説を読んで確かめてみてください。

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小説の俊介は、映画に輪をかけたいい男

映画で横浜流星さん演じる俊介も美しくかっこいいですが、小説の俊介は映画に輪をかけて爽やかないい男。映画では「なんで東半会やねん!半弥が先、東一郎が後。半東会やないとあかん!」とホステスにくだ巻く俊介ですが、小説では、「半東会より東半会の方が語呂がええわ」とおおらかなもんです。春江のお父さんを慮ったり、舞台前に息子の一豊の緊張をほぐすシーンも、ほんと良いんです。

怪我をした父である半二郎が、自分の代役に喜久雄を指名するという、とても傷つく出来事があった公演。映画では、喜久雄の舞台の途中で逃げるように客席を立ち、そのまま失踪します。

しかしながら実は小説では、俊介は昼の部「二人道成寺」の舞台に喜久雄と出続けているのです。失踪したのは、千秋楽までやり遂げて、喜久雄に「無事に終わってよかったな」と声をかけてからのこと。とても清々しくて、かつそれでいて、人間味のあるいい男だなぁと、小説を読んでいる時に感じました。

失踪中、見世物小屋で田舎芝居に塗れながらも芸を磨いていた俊介を竹野が見つけるわけですが、その知らせで観に行った万菊が、俊介の舞台を観て感銘を受ける。

それもそのはず、小説の俊介は失踪中に映画では描かれていないとても大きな人生の絶望を味わっており、芸に深みも出たのだと思われます。

「あなた、歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないんでしょ」「…でも、それでもいいの。それでもやるの。それでも毎日舞台に立つのがあたしたち役者なんでしょうよ」という万菊の名台詞は、映画では俊介を前にしながらむしろ喜久雄に聞かせようとしたような演出でしたが、小説では、再会した俊介に100%ぶつけたメッセージです。

映画に登場しない数多のキャラクター

小説には多くの人物が登場します。喜久雄をいじめるクソ教師とか冷遇する歌舞伎界の重鎮親子とか喜久雄の兄貴分の役者とかセックスフレンドの女優とか麻雀仲間の力士とかその息子の兄弟子(実はけっこうキーパーソン)とか弱った幸子につけ入る宗教家とか徳次の人生に大きく関わる芸人とかその師匠とか…エトセトラ。それぞれのエピソードも面白い。

映画で割愛された登場人物で、徳次以外にも、私が好きな登場人物がいます。それは、春江の父親。読んでいてある瞬間、見方が変わる。

あとは、映画でもちょい役で登場していた源さんも小説ではちょこちょこ見せ場が与えられています。もう少しぜひ小説で確かめてみてください。

その他、映画と小説の違い

喜久雄と俊介に稽古つけてたのは半二郎ではなくて別のお師匠さんだとか、竹野は映画よりもさらに狡猾なところがあるだとか…笑、そんな細かい違いも色々ありますが、なんといっても小説は、喜久雄と秀介の活躍が業界、世界を股にかけてすごい。喜久雄は映画に出たりパリ公演に出たり俊介は連ドラに出たり。

私が小説の好きなところが、俊介が失踪から帰ってきてからのふたりが、実に仲がいい。互いの受賞を電話で祝いあったり、飲みに行ったり。たくさん共演しているとの記述もあります。もちろんお互いに色々と思うところあったり、映画のように罵り合って殴り合うこともあったかもしれませんが、小説には描かれていません。

そしてなにより原作小説の特徴。地の文が、「…でございます。」といった飄々とした語り部の講談調で、熱い狂気の物語が、実に涼しく読みやすいんです。ぜひ、小説の文体の妙も楽しんでもらいたいと思います。

それぞれに印象深いラストシーン

最後に、映画と小説とで大きく異なるのがラストシーンです。小説を先に読んでいた私は、King Gnuの井口理さんの歌声に乗ったエンドロールが終わってその後があると思い込んでいたのですが、そのままに終わったので、「えっ」と声が出ました。

小説も映画も、結末がはっきりとどうなったとは書かれておらず、観る我々に解釈はゆだねられます。その解釈の幅が映画の方がより広い気がして、私はラストシーンは映画の方が好きです。

喜久雄がインタビュアーに、「なんやずっと探しているものがありまして。景色なんですけど」と言っていた、その景色。国宝となった舞台の最後で、喜久雄はその景色に辿り着き、「きれいやなぁ…」とつぶやきます。この、雪が舞うような儚くも美しい景色は映画の中で度々フラッシュバックされるもので、小説にはない、視覚的に印象に残る演出です。

小説で最後に喜久雄が演じるのは「阿古屋」という演目ですが、映画では、「鷺娘」。演目の中で鷺娘は息絶えるし、綺麗な景色は父親が撃たれて亡くなった時の光景なので、喜久雄も同じように…という解釈もできますが、私は、映画の喜久雄は生きていてほしい。

なぜなら映画では、万菊が晩年過ごす安宿で、喜久雄に直接こう語っているからです。「ここにゃ美しいもんがひとつもないだろ。なんだかほっとすんのよ。もういいんだよって、誰かにやっと言ってもらえたみたいでさ」と。小説では、これは喜久雄でなく、別の人間に言っている言葉です。

国宝になった喜久雄は、探し求めていた美しい景色に辿り着いた。だからこれからは、美しいものを手放して、悪魔との契約も反故にして、もういいんだって言ってもらえたような人生を送ってほしいと思うのです。映画の喜久雄の人生は、これからも続くように私は感じました。

小説のラストは第二十章。その前の第十九章のタイトルは「錦鯉」。錦鯉は喜久雄を表現しているのですが、どんな意味で比喩されているのか、小説を読んでほしいと思います。その流れでの小説のラストには、とても心をえぐられました。

でも、文章から私の脳裏に映像化されたイメージは、雪が舞う景色ではないですが、これはこれでやはり美しい情景でした。故に小説も、私の中ではハッピーエンドと解釈しています。

まとめ

今回の備忘録

「喜久雄の物語にしたいんです」と李相日監督は原作者の吉田修一さんに伝えたそうです。それ故に物語はわかりやすくなり、一本の映画におさまりました。この映画が話題になっていなければ、私は『国宝』という小説に出逢うことはありませんでした。本当に感謝です。

一方、俊介はじめ周囲の登場人物のドラマの奥行きと深みが原作小説はとても味わい深いので、ぜひ皆さんも読んでみることをおすすめします!

おすすめの一冊

「国宝 上・下」吉田修一

本記事で、原作小説を読んでみたくなられた方はぜひ読んでみてください。映画とはまた違って、本当に面白いです。

 

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