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【ネタバレ考察】『六人の嘘つきな大学生』映画と原作小説との違いまとめ

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映画『六人の嘘つきな大学生』を観て、原作小説との違いが気になった人

この備忘録を読めば

映画と原作小説との多くの違いについて、整理して理解することができます

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<目次>

はじめに

映画『六人の嘘つきな大学生』が2024年11月22日に公開になりました。

浅倉秋成さんの原作小説が面白くて大好きだったので、さっそく観に行ってきました!

本記事では、映画と原作小説との違いをレビューします。ネタバレを含みますので、注意してください。

※ネタバレなしのレビューはこちら。

『六人の嘘つきな大学生』あらすじ

まずおさらいで、この物語をひとことでいうと「就職活動を舞台とした、ミステリー要素を盛り込んだ青春群像劇」。

誰もが憧れる有名IT企業スピラリンクス。その新卒採用、最終選考の課題は「最終選考に残った6人で、1か月後にグループディスカッションを実施する」だった。全員での内定もあるということで、協力しあって万全の準備で選考を迎える6人。しかし、急な課題変更が通達される。「事情が変わり、内定は1人だけ。その1人は皆さんで決めてください」。グループディスカッション当日。仲間からライバルへと変わらざるを得ない6人に、予想もつかない展開が襲い掛かる。

映画は細かな伏線をそぎ落とし、シンプルなストーリーに

この映画は、原作小説の豊富な伏線となる細かなエピソードを随分とそぎ落とし、シンプルなストーリーにしています。それ故にわかりやすく、テンポの良い作品に仕上がっています。6人で協力しあってグループディスカッションの準備していく過程は、大幅に短縮されていますが、俳優さんたちの演技や、編集・演出の妙で最大限うまく表現されていると思いました(袴田賞のうまい棒やその後のトイレのかっこいい森久保は観たかったけれど)。ただ「伏線の多さ」にこそ、この作品の面白さがあると私は思っていたので、少し残念でした。

また、割愛されたいくつかのエピソードは、登場人物の印象に対しても大きく影響するものがあります。それ故に、原作と映画で異なる余韻を味わうことができるのですが、原作を読んでいた私は、原作の方が好きでした。

もちろんこれは好みの問題に過ぎず、原作の作者・浅倉秋成さんもこの映画作品を好意的にとらえているインタビューがパンフレットには記載されていますので、問題でもなんでもありません。そして私も、原作の方が好きといいつつも、この映画はこの映画で、楽しみました。

浅倉さんは「小説をすごく上手に換骨奪胎してくださったなと思います」と仰っています。「換骨奪胎」とは、外見は同じでも骨を取り換え胎盤を奪う、つまり、他者の着想や形式を借用しつつ、そこに自分なりの創意を加えることで独自の作品を創り上げること。まさに、そのような映画作品だと私も思います。

注意!以下、ネタバレあり

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映画と原作小説の違いまとめ

以下に、主だった映画と原作小説の違いを具体的にまとめていきます。登場人物は敬称略で記載します。ご了承ください。

①月の表と裏の話

映画で、5人の優秀さに自分を卑下してしまう嶌に、波多野がこう言って励まします。「(就活生は)月と同じなんだよ。月は地球には表しか見せてない。月の裏側を見ることはできない」。原作では、「月は地球には表しか見せてない」と言うのは嶌です。その言葉を波多野がずっと覚えていて、「人間も同じだ。誰にも見せない裏側がある」と時間が経ってから解釈します。

その解釈をさらに飛躍させ、「グループディスカッションでみんなの月の裏(悪い側面)を垣間見たが、さらにその裏もきっとあって、それはもしかしたら表(良い側面)なんじゃないか」と、はめられた波多野が自分の意志で、あの時の仲間の”悪い側面”のさらに裏、つまり”良い側面”を探しに自発的に動く。原作小説を読んだときに、ミステリー要素以外、物語として心に響いたことが私は3つあって、ひとつがこの波多野の行動でした。

しかしながら映画では、波多野は月の裏をさらに暴こうと、皆の”悪い側面”の情報を得ようとして動きます。

これは、私にとっては、ちょっと残念な改変でした。

②飲み会背景の伏線

映画でも登場した、飲み会。九賀がお酒をよく知らないことを示す重要なシーンです。ここを省くとさすがに、犯人が九賀だと推理できないので”フェア”じゃないですね。その九賀は映画でもどこか不満げでしたが、小説では5人のどんちゃん騒ぎに露骨に気分を害しています。しかしながら、その騒ぎっぷりは実は、間違えて高額な飲み放題コースを予約して落ち込んでいた森久保を救うためだったのです。この、月の裏が表にひっくり返る快感。ここが映画では割愛されています。

③嶌の足の障害の伏線

小説では嶌は足に障害を負っていて、歩行がやや不自由です。矢代が電車の優先座席2席を陣取る、九賀がどうどうと障碍者用駐車エリアに車を停めるといった、彼らを悪く見せるミスリードがあり、最後に、嶌を思っての行動だったと、ここにも月の裏が表にひっくり返る快感が小説にはあります。

映画の嶌は、そもそも障害を負っていません。

④嶌の兄の存在

足の障害以外にも、嶌にまつわる様々なことが映画では割愛になっています。

嶌の足の障害の原因は、兄です。兄が不運な交通事故を起こしてしまい、その際に嶌は足を負傷しました。その兄は、歌手の相楽ハルキ。薬物依存症と戦っています(彼にも、月の表と裏がある)。映画では、兄の存在はありません。

⑤後輩・鈴江の存在

映画でも少しだけ登場した嶌の後輩の名は鈴江真希。小説では、相楽ハルキのファンである彼女の存在が、相楽ハルキに対する世の中の目が8年前とは異なっていることを示し、かつ、今の嶌のキャリアウーマンぶりを際立てる役割を果たしています。

⑥嶌の告発文書

映画と小説の、もっとも大きな違いがこれでしょう。原作では、嶌の告発文書の内容が明かされます。それは、「嶌の兄が薬物依存症の相楽ハルキで、二人は同居している」ということでした。就活当時の彼女にとっては隠したくてしかたない事実だったと思われます。しかし8年を経て、相楽ハルキへの世の中の風当たりも随分と静まった今、なんてことはない。告発の内容を知り、8年も月の裏側に恐れ続けていたが、こんなことだったとは・・・と、「信じられないほどに月がきれいだった」という心境になったのだと思います。

かなり物語の名場面だと思うのですが、映画では割愛されています。パンフレットによれば、監督、脚本家、プロデューサーの皆さんも、嶌の告発文内容を明かすか明かさないかは悩みに悩まれたそう。意見が割れながらも最終的には、「誰しも人に見せたくない秘密はある。それをさらさなければいけないというのが正解でもない。結局、見えない月の裏側があるのが人間」というメッセージとすることを選択されたと。このように私は解釈しました。そしてこれはこれで、ありだと思いましたね。

⑦波多野と嶌と九賀の三角関係

波多野が嶌を好きなのは、映画でも原作でも自明ですよね。ただ、その他のベクトルがやや曖昧で、映画と小説でも微妙にニュアンスが違います。

波多野→嶌

映画:波多野から嶌へ、明確な告白はない。ただし矢代に、嶌のストーカーだとか、最後の一票を嶌に入れなかったら同点だったのにと皮肉られたりしており、波多野から嶌への好意は周知の事実となっている(ちおしいなみに小説での、電車の中で矢代が波多野に嶌のこと好きでしょと伝える場面は映画ではナシ)。映画オリジナルシーンで、嶌の「最終選考で私を推してほしい」というリクエストを好きなのに断ってしまう真面目な不器用さがいじらしくて好き。

小説:波多野が残したテキストファイルの末尾で「あなたのことがとても、とても、好きでした」とはっきり告白している。しかしながら、最後に明かされる嶌の告発内容をスピラリンクスに送ろうとした形跡から、入社したい気持ちと愛情との間でもがいた、月の表とも裏とも割り切れないのが人間だとも言わんばかりの波多野の葛藤が伝わってきて、味わい深い。

嶌→波多野

映画:8年後、「波多野からの好意をわかっていて利用した」「最終選考で自分を推してほしいと頼んだ」と皆の前で懺悔。脚本家の方は「波多野は嶌が好きで、嶌も波多野のことが好きだったのかなという気持ちでは書きました」と語っている。

小説:波多野からの好意をはっきりとは自覚していない。「嫌われてはいなかった」「仮に私のことを好いてくれていたとして」くらいの認識。逆に言えば、就活当時は波多野のことを恋愛対象として嶌は意識していなかったことがわかる。

8年後、波多野の妹の「兄のこと、どう思ってました?」という問いかけには「好きだったよ」と答えているが、これは波多野の月の裏側を垣間見て、あらためて、ともに就活を経験した同士としての尊敬や友情としての好意だと思われる。

嶌→九賀

映画:嶌から九賀への愛情ベクトル表現はナシ。

小説:波多野の妹が「あれは好きな人投票だ、”あなたは優秀だ”と”あなたが好きだ”の境界は曖昧」というのに対し、嶌は「いやはや、本当に鋭い考察だ」とつぶやいている。嶌は6回中5回、九賀に投票している。

九賀→嶌

映画:九賀から嶌への愛情ベクトル表現はナシ。

小説:九賀が告発された際のことを思い出し「しばらく見てたでしょ、僕のこと」「侮蔑と失望と疑念と、あとなんだろうね、いろんなものがまじりあった混沌とした視線を君は向けていた」と嶌に話している。ただ、本人が嶌からの好意を自覚していたかは不明。

⑧嶌の推理ショー

映画では嶌が波多野以外の4人を、グループディスカッションしたスピアリンクスの会議室に集めて推理ショーを行います。それに対し、小説では、嶌が4人に個別にヒアリングを行ったうえで、推理ショーは犯人である九賀に対してサシで行います。

映画ではスピアリンクスの会議室で4人が再会しますが、皆それぞれに、とても充実したキラキラした姿です。森久保は小説と異なり外資企業設定になっていました。推理ショーにおいて、犯人の九賀を含め、4人が実は告発文どおりの悪者ではないということが波多野が調査して残した音声データから明らかになります。

一方、小説。巧妙な構成で、グループディスカッションで各人が告発された直後に、嶌からその告発されたメンバーへの8年後のヒアリングが挿入されます。このヒアリングに応じるそれぞれのメンバーの態度や返答がひねくれて自分を卑下していて、ダークサイド、月の裏側そのもの。だから、告発文書の内容は本当だと、読者は月の裏側が真実だったと思い込むことになるのです。しかも、最初はヒアリングしているのが嶌だと伏せられている。犯人捜しの観点から、嶌が犯人だと思わせるミスリードも仕掛けられていて、本当にうまい。波多野の残した音声データは小説のほぼ最後に明かされ、そこで読者はようやく全員の月の表側を知ることになります。

⑨スピアリンクス人事・鴻上

映画では存在感のない、スピアリンクスの人事部長・鴻上。小説では、嶌が彼にもヒアリングをします。他のメンバー同様、彼もひどいダークサイドを見せつけてくれるうえに、彼だけは月の表側を伝えてくれる描写もないので、救われない笑。でも、彼が企業の人事側から「短い面接で企業の人事が人間の本質を見抜くことなんで不可能」と語ることも、この物語の見え方を偏ったものでなく、立体的にしていると思います。

⑩波多野の選考再実施要望書

小説では最後に、波多野がスピラリンクス人事にすべてを明かし、選考をやりなおしてほしいと要望する文書の封筒を嶌が見つけます。波多野という人間にも、月の裏側があった。完全な善人でなかった。でも、「書いて、結局出さなかった」ことこそが、彼というひとりの人間が生きた証のような気がします。そして、嶌が波多野の妹に「(波多野のこと)好きだったよ」と言い、心の中で「ありがとう、好青年のふりをした、腹黒大魔王さん」と言う。このシーンが、私がこの物語で心に響いた3つのふたつめです。が、これも映画では割愛。残念!

映画のモヤモヤが小説ではフォローされている

映画を観て、多くの人が次のふたつのモヤモヤを感じたのではないでしょうか。これらについて、実は原作ではフォローがあります。

⑪グループディスカッションを止めない人事

封筒は人事が用意したものでなく、互いの暴露合戦が始まった時点で、普通はそのグループディスカッションを止めるのでは?と思いました。小説では鴻上が嶌に、人事としても葛藤があったことを明かしています。「隣の会議室でモニターしていた我々も結構なパニックになった。中断させる意見も出たが、皆さんとの約束を守った」と。結論の是非はさておき、一応は人事内で議論していたのですね。

⑫犯人の動機の浅さ

もうひとつ、きっと多いモヤモヤが「そんな浅い動機で!?」ということだと思います。映画では8年後の九賀が、如何に自分が憤ったのかを熱弁しますが、イマイチ共感できない方が多かったのではないでしょうか。私もそうです。

実は小説における8年後の九賀は冷静で、「当時は若かった / 説明するのも難しい / 今の僕だったら実行に移さない / 当時の自分に話しかけられるならやめておきなよって助言するかも」「でも、当時は違った / 当時の自分の憤りは何ひとつ否定しない」と、冷静かつ客観的に当時の自分を振り返りながら嶌に語ります。最初に小説を読んだときに私は、このような九賀の告白を嶌と一緒に聞いたので、この動機の浅さに関してモヤモヤはしませんでした。

ちなみに小説では九賀と同学年の友達、映画では先輩の川島。もしかしたら、九賀は川島に友達や先輩以外の感情も抱いていたのかも、そんなことを思ったりもします。

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「月の表と裏」から見る、全体の構成

ここまでまとめてきたように、映画と原作小説には大小様々な違いがあります。

最後に、全体的な構成の違いを、この物語の肝である「月の表と裏」に着目してまとめてみます。

映画における、読者から見える月の表と裏の推移

月の表(グループディスカッションまで)

 ↓

裏(グループディスカッションでの告発)

 ↓

表(嶌の推理ショーでのキラキラ再会&波多野の残した音声データ)

小説における、読者から見える月の表と裏の推移

月の表(グループディスカッションまで)

 ↓

裏(グループディスカッションでの告発&嶌の8年後ヒアリング)

 ↓

表(波多野の残した音声データ)

月の表をストレートに伝える映画、間接的に伝える小説

”月の表→裏→表”という構成は同じであることがわかります。

が、小説は嶌のヒアリングが”月の裏”のダメを押しており、最後に表にひっくり返る快感が増しています。

また、最後の”月の表”。映画では生のキラキラした4人の姿があり、小説では本人たちの姿はなく、周囲の関係者から語られて間接的に我々に伝わるだけという違いがあります。映画はわかりやすいですが、あえて本人たちが語るのは”月の裏”で終わらせて、最後に間接的に”月の表”をチラ見せするという小説の構成が私は大好きです。このことが、私がこの物語で心に響いた最後の3つ目です。

まとめ

今回の備忘録

『六人の嘘つきな大学生』映画と小説にはたくさんの違いがあります。どちらも良さがありますが、私は、下記の違いから小説の方が好き。

・波多野が映画では皆の”月の裏”を暴こうと動く。小説では”月の表”を暴こうと動く。

・小説では、波多野にも”月の裏”があったシーンが描かれる。

・映画では最後に本人たち登場で”月の表”で終わるが、小説では本人たちは”月の裏”を語って舞台から去り、間接的にそれぞれの”月の表”が最後に示される。

ちなみに、最後におまけでもうひとつの違い。実は映画と小説で、タイトルも違う箇所が一か所あります。気づきましたか?

答えは、『嘘』の字の中にある「七」が、映画では「六」になっている。ニクい演出ですね!

おすすめの一冊

『六人の嘘つきな大学生』がおもしろかった・お好みという方に、おすすめの2冊を紹介します。

「何者」浅井リョウ

同じく就活を扱った、直木賞も受賞した長編小説。月の表と裏が堪能できます。

「十角館の殺人」綾辻幸人

同じく大学生たちが主人公のクローズドサークルもの。本作同様に、気持ちよーく騙される。ミステリーの面白さが堪能できます。

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